子育ては技術です
子育ては技術です。
子育ての技術とは、例えば
・「最後」と言ったら必ず最後にする
・嫌いな食べものは、一口だけ
・その場で(具体的に、短く、理由をつけて)褒める
・「どうして?」には、「どうしてだと思う?」
・「後で」ではなく、「〇〇の後で」
などといった、1つひとつは小さなものです。
ご自身も小学校教員である向山洋一氏は、何十年も前に「教育は技術だ」とおっしゃっています。
当時、向山教諭は批判をたくさん受けたようです。「技術や法則では子供は育たない。教育は教師の人間性や熱意が大切だ」などといった批判です。
ネットの普及した現在、「子育ては技術だ」と有名なママタレさんがツイッターで呟いたら、炎上するかもしれません。
「技術だなんて、人間味がない。愛情を持って一生懸命に育てることが大事でしょ。」と。
でもね、技術と愛情って、比較対象として間違っていませんか?
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この前、林修先生の番組をユーチューブで見て、なんともいえない気分になりました。
林先生が、実際に子育て中のママさんたちを前にして、子育てを論じる企画です。知識と経験が豊富な先生と、現場のママさんたちも論争。両者のぶつかり合いがこの企画の見どころですね。
そのぶつかり合いの一部を、下にザックリとまとめてみます。
林先生
躾で大切なことをあえて2つだけあげるとすれば、
1 何でも美味しく食べられるようにする事
2 良い姿勢を作る事
食べられないものがあるとしたら、それは100%親の責任ですよ。
ママさんたち
自分たちは一生懸命に子育てをしているのに、そう言われると辛い。時間のない中で一生懸命に頑張っているのにそうやって責められて、辛い思いをしているお母さんはたくさんいる。引きこもりになってしまうお母さんもいる。
林先生
食べられないものがあった時こそチャンス。愛情を込めて工夫してご飯を作り、少しでも食べられたら褒めてあげる。そうやって愛情を込めて云々。。。
実際はもっとやり取りがあるのですが、なんとも言えない気分になった点は以上です。
林先生は「愛情を込めて・・・」と言い、ママさんたちは「一生懸命に頑張って・・・」と言います。なんだか両者は、同じことを別な言葉で表現しているように感じます。
ただ違うのは、林先生の言葉に具体的な技術が含まれている点です。
・工夫してご飯を作る
・食べられたら褒める
「愛情が大切」と言うのはわかりますが、愛情がない人ってどれだけいるんでしょうか?例外的なケースを除いて、愛情はほぼみんながが持っていますよね。みんな自分の子供を、大切に思っています。
でも、愛情だけで子育てがうまくいくとは限らないんです。
ご飯を食べようとしない子供を目の前にして、「愛情をもって一生懸命食べさせれば、食べるようになるはず!」なんて考えませんよね。ピーマンを小さく刻んだり、カレーに混ぜてみたりと、方法を工夫してみるのではないでしょうか。
子どもが寝つきの悪い時期に入っても、「愛情があればきっと寝てくれるはず」と、ずっと同じ寝かせ方を続ける人もいないでしょう。音楽をかけたり、入眠儀式を取り入れたり、風呂のタイミングを変えたりしますよね。
こうした工夫(技術)が必要だから、多くのママさんたちはママ友に相談して情報を共有したり、ネットで調べたり本で学んだりするわけです。
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逆に、技術だけでも子育てはできません。というか、続けられません。いつも楽しいことばかりなわけではないですから。
自分が疲れていたり忙しかったりしたら、散らかったおもちゃを子供と一緒に時間をかけて片付けるのも嫌になります。自分でざっと片付けてしまいたいですよね。
靴を自分で履くのを、横で励ましながら5分も待っているのも、なかなかしんどいものです。履かせてあげたら10秒ですから。
そんなときに親のモチベーションを支えるのが愛情です。
どんなに大変でも子供に付き合ってあげる、急いでいても待ってあげる、イヤだと言われても我慢強く説得する、それができるのは、親に愛情があるからです。
技術を行使し続けるモチベーションを支えるのが、愛情です。
ということで(愛情は皆さん持ち合わせているので)、「子育ては技術だ」というわけです。
保育士さんたちの愛情は親よりも少ない(場合が多い)と思われますが、不足分のモチベーションを補完するのが給料ですね。
また、長く続けている「プロ」の保育士さんは、技術と経験が豊富なので、私のような「初心者でセミプロ」の親よりも上手く子どもに接してくれます。
私は「プロ」の親になるべく、ゆるーく努力をしています。そんな私は「技術を知り、適切なものを選ぶ」必要があります。
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「何をどう躾けたら子供が何を学習するか」というのは、考えればある程度は分かります。言い換えると、「どの技術を行使したらどんな結果が得られるか」は、ある程度は決まっている、という事です。
技術はあくまで単なる技術で、「良い悪い」などの価値基準を持ちません。ドライバーでネジを回したり、九九を計算したりするのと同じです。原発の技術は、エネルギーにもなるし、大量破壊兵器にもなり得ます。
ここで覚えておくべきは、どのような躾をするのかは、(環境が許す限りは)私が選んでいる、ということです。つまり、子供たちが育んでいく人格の一部は、私の判断に委ねられているということです。
であるならば、子供たちにどんな人生を送ってほしいか、さらに言えば、子供にとってどんな人生が幸せなのかというビジョンを持っておいたほうがいいでしょう。
「正解の人生」が無いように、「正解の子育て」もありません。何が幸せかは、個人や文化によって違うし、時代とともに変化するのだから。
(「不正解の人生」や「不正解の子育て」はありますが)
毎日楽しく笑って過ごしてほしい
社会通念にとらわれず自由に生きてほしい
起業して会社を成長させてほしい
世界中を旅するように生きてほしい
家族や友達を大切にし、愛し愛される人生を送ってほしい
こうした大まかなビジョンを描くことができたら、その人物がどのような性格傾向を持っているかが推測できます。すると、その性格傾向を持つためにどんな躾が必要か(どんな技術が有効か)を考えることができます。
「子どもは親が願っている通りに育つもんではないよ」と、人から時々たしなめられます。私も半分くらい同感です。
そりゃそーでしょ。それでいいんです。とーさんの願っている通りに育たなくたっていいんです。恵美と和美には、それぞれの人生があるんだから。とーさんとかーさんの人生ではありません。
とーさんは自分にできることをよく考えて、できる限り(それなりに、適当に)やってます。あとは見守るだけ。人事を尽くして天命を待ちますよ。それがとーさんの役目です。