娘へ

あなたはこうしてできています

子育ては「自然に」?

子どもへ接し方をかーさんとアレコレ話している一方で、「子育ては自然なのが良い」と私の母は言います。母はそのようにしてきたと。その結果が、私ですが。(コレで良いのかな?)

 

 

「自然に」子育てをしてうまくいく人もいるでしょう。


例えば、


・親の生活習慣ができている

・親が愛情と笑顔に溢れている

・親が時間や決まりを守れる

・親が知的、社交的で、マナーも身につけている

・親または祖父母に、子育てのための時間が十分にある

・(自分達に時間がなくても、)保育園に出すことができる

・パートナーが協力的である

・生活に不自由しないだけの経済力がある

 


などの条件が、どれか3~4つかそれ以上あれば、「自然に」子育てをしていてもたいていうまくいくと思います。

 

そんな親子、私のママ友に何組もいます。ステキなママさんとできた子たちです。

「どーしてそんなに良い子になったの?」と聞いてみましたが、「さー、普通にしてるだけですよ。」とさわやかに微笑むだけ。謙虚で教えてくれないのか、彼女の「普通」基準が高いのか。いずれにしても、私よりもかなりステージが上なので、マネはできません。

 

 

#####

 

 

さて、

子育ては「自然に」しても、学んだり考えたりして意識的にしても、良い結果が出せるかどうかはわかりません。長い人類の歴史をもってしても、未だ子育ての方法論が確立していないのだから、間違いありません。

私がアレコレ考えながら子育てをするのは、こっちの方が子どもにとって良い(というか、自然にしてたら私のように怠惰なKYに育つ)と考えているからですが、私自身が結果に責任を持つためでもあります。

 


結果に責任を持つというのは、子どもの問題を自分の問題として引き受けるということです。

この自覚ができると、子どもに怒らなくなります。大声で怒鳴り散らすようなことがなくなります。

 

 

#####

 


自分がよーく考えたり調べたりして、これだと思った方法で育てたのなら、子供が学校で問題を起こして先生に呼び出されても、警察のお世話になっても、30歳を過ぎてなお実家に引きこもっていても、親の自分は受け止めることができると思うのです。


とは言え、そう言った事態に遭遇したら、後悔や反省はするでしょう。あー、あの時のアレがマズかったのかなとか、もっとこうしておけば良かったかななどと。


でも、しょーがないじゃん。その時はベストと信じた方法だし、全力で取り組んだんだから、それ以上の結果は求められないっしょ。それが親としての、自分の力量であり限界なんです。

そう思えば、悔いはないんです。目の前の事態(子どもの問題)を自分の問題として受け入れるしかないんです。

 


もちろん、全ての原因が親にあるとは考えていないですよ。友達、先生をはじめとした周囲の大人、テレビやインターネットなど、子供に影響をおよぼす要因はいくらでもありますから。

だとしても、少なくとも原因の一端は自分にあると自覚して、責任を引き受けられでしょう。


言い換えれば、「あー、どうしてこの子はこんな子になったんだろ」っていつか思いたくないってことです。このセリフ、無責任すぎるでしょう。もしこんなことを言う親がいたら、その子に心から同情しますよ。

 

 

#####

 

そんなに先のことではなく、3歳にもなれば、それまでのしつけや生活習慣、見たり聞いたりしたことなどのあらゆるインプットが、子どもの言動(アウトプット)になって現れます。3歳の子どもに怒る親もいるかもしれませんが、何かおかしくないですか。

 

子どもはインプットしたことをアウトプットしているだけです

 


教えたことができていないって?

それは、教える時間や回数がまだ十分でないか、教える方法がその子にあっていないか、その子に不向きな内容だからではないでしょうか。


教えたようにしてくれないって?

それを当然の事と想定して子どもに向き合いましょう。相手はインプットの通り結果が出るコンピュータなどではなく、個性を持った、しかも3歳の人間ですから。

 


3歳前の恵美がお行儀よく座ってご飯を食べなくても、歯磨きを嫌がってなかなか磨き終わらなくても、恵美に怒れるわけがないでしょう。だってそれは、とーさんとかーさんの遺伝子と子育ての結果なのだから。

 

どんなに頑張っても走るのが速くならない人は、ガッカリしたりストレスに感じたりはするかもしれませんが、伸びない記録に怒ったりしません。努力が足りないか、練習方法が適切でないか、能力がそこまでか、原因はそのどれかだと分かっているからです。

つまり、原因(責任)は自分にあることが明らかだからです。

 

怒るとしたら、「自分に」怒るはず。

 

子育ても同じです。

 

子どもの言動の原因(責任)は、親にあります。

であれば、どうして子どもに怒ることができるでしょう。

 

 

「自然に」というのは、無思考、無自覚に何かをすることです。なので、いつか問題にぶつかった時に、具体的な反省点がつかめず、改善策もたてにくいです。

問題が起こり、どう対処したらいいかわからない状況になって初めて、「自然に」子育てしていたら上手くいかない(自分には無理)なんだと認識するのかもしれません。ですがおそらく、そこからの軌道修正は難しいです。というか、「自然に」の人は、そもそも自分が「自然に」という方法を採用しているという自覚もないのだから、「この方法は無理なんだ」という認識も生まれないのかもしれません。

そしてやがては、「どうしてこの子は・・・」と思ってしまったりしませんか?

 


「自然に」ができない私には、やっぱり子育ての技術が必要なんです。