娘へ

あなたはこうしてできています

歯磨きがうまくできません

和美の歯磨きが、うまくできません。「うまく」というのは、嫌がらず泣くこともなく、習慣として当たり前のことのように、ということです。元気に楽しく、などという高望みは申し上げません。

いつも、泣き叫びながら逃げようとする和美をガッチリと抱っこして押さえつけ、

「歯をキレイにしようね〜。歯磨きは大事なんだよ〜。」などと何の慰めにもならないことを話しかけながら磨いています。和美は現在1歳半。


しなければいけないことなので、まーいっか、という感じです。「歯磨き、大好き!」っていう人もいないと思うし。

 

楽しいご飯の時間が苦痛になるのはマズイけど、そもそも楽しくない歯磨きの時間が苦痛になっても、今はいいかな。苦痛であっても、しなければいけないということが理解できるようになったら、頑張ってするでしょう。

とにかく、歯磨きのうまいさせ方がとーさんにはわかりません。歌や手遊びなどで上手く誘導することも、苦手であります。泣く子を抑えて、無理矢理させるというスタイルが、もう2週間くらい続いています。

1歳5ヶ月くらいまでは、泣くことも(楽しくも)なくできていたのですが。そういう時期でしょうか。

ちなみに恵美も、1歳半くらいの時は同じように嫌がって泣きました。数ヶ月後には泣くことはなくなりましたが、嫌がって逃げるようになり、2歳半くらいになったら「歯磨きの大切さ(虫歯の恐ろしさ)」を理解し始めて歯磨きをそれほど嫌がらなくなりました。

和美の方も、あまりに力づくの無理矢理で歯磨きをしてトラウマにならないよう、適度に手を抜きながらこの時期を乗り切ろうと思います。

 


追記

上は2019年8月24日に書き留めておいたのですが、その約2週間後の現在(9月7日)、少しマシになりつつあります。

「あ!虫バイキンがいたぞ!虫バイキンが口の中でイタズラするぞ〜!」と言うと、和美は黙って大人しく口を開けます。言っていることをどれだけ理解しているかは不明ですが、しばらくはこの手で歯磨きができそうです。

「だから言ったじゃん」って、ホントーに余計なセリフ

先日、「だから言ったじゃん!」というセリフがのど元まで出かかってやっと飲み込んだ、父親修行中のとーさんです。

 


娘2人ととーさんは毎週火曜日、友達何人かと科学博物館に集まって遊んでいます。先週火曜日の朝、いつものように出かける準備をしていたら、小さくてキレイなヘアピンがいくつも入った小箱を恵美が持って出かけようとしていました。

「それ持ってくと、どっかで落として失くしてしまうぞ。家に置いて行こう。」

とーさんは説得を試みたのですが、どうしても持っていくと聞かない恵美。

失くすかもなどという可能性を考えるようには、3歳の脳はできていません。

 


で、結果、2つ失くしました。

しかも、一番大事そうなキレイなのを。

 


火曜日は結構あわただしくて、午前は日本語プレイグループ、午後は科学博物館で別のグループの友達と3時まで遊び、1時間くらいかけて渋滞の中を寝ながら帰ります。2人とも、車の中でも(家に着いてからも車中でそのまま)2時間くらい平気で寝たりするので、科学博物館を出る(=寝始める)時間が遅くなると晩ご飯も夜の寝る時間も押してしまうことになります。それに、3時半を過ぎると渋滞がひどくなり、帰宅が遅くなります。

なので、3時まで力いっぱい遊んで、サッと車に乗り込んで帰りたいところ。

建物を出て路駐している(少し離れた)車まで歩き、和美を乗せ、恵美を乗せ、カバンを積み込み、ベビーカーをたたんで積み込んで、さー帰ろうかと言うところで、


「あれ?ないよ。」

大切に持っていた小箱を開けてみると、ヘアピンが2つ足りません。


むむっ・・・と思いましたが、そこは抑えて

「その辺に落ちてるんじゃないの?」

と、まずは周囲を探してみることに。

ポケットの中、カバンの中、チャイルドシートの上やら下やらどこを探しても見つかりません。車の周辺にも見当たりません。


「んー、どっかに落としてきたみたいだな。こりゃ見つけるのは難しいから、諦めるか・・・。」

と言うと、

「うっうっうっ・・・」

と泣き出す3歳。


おいおい!泣きたい気持ちは分かるけどさ、勘弁してくれねーかな?!もう全部、車に積み込んだんだよ。和美は寝かかってるよ。それを車から降ろして、見つかるかもわからない小さいヘアピンを探しに行くって?渋滞ひどくなるよ。帰りは何時になるんだよ。かーさん待ってるよ!ご飯まだ作ってねーんだよ!


だから言ったじゃん!!失くすから家に置いておこうって!!

 

ついにイライラが頂点に達してのど元まで出かかった、この「だから言ったじゃん!」をグッと抑えて飲み込みました。

よく頑張ったぞ、おれ。

 

 

 

なんで飲み込んだかって、「だから言ったじゃん」というセリフは、とーさんの感情を子供にぶつけているだけで、問題は解決しないし、子供にはなんのプラスにもならないわ、マイナスにもなるわで、良いことがまるでないからです。

 


「だから言ったじゃん」というセリフで


・とーさんが正しかったことを押し付けがましく子供に確認させ

・とーさんは正しくて、自分(恵美)は間違っていたという失望感や無能力感を与え

・自分は失敗して、しかもそれはいけないことだったんだという、失敗を恐れる気持ちを植え付け

・とーさんは自分を信頼していないんだと信頼関係に溝を作り

・とーさんのイライラは自分のせいだと罪悪感を覚えさせ

・今後はとーさんの言うことは聞くべきと思考停止させることに、


なんの意味が?

 

 

 

とーさんのように、いつも子供のそばにいる人の役目は、挑戦と失敗を安全にたくさんさせてやることです。

恵美がヘアピンを持って行きたければ、持って行かせればいいでしょ。

で、失くしてガッカリするもよし、探しに戻って時間を(余分に)使うのもよし。

とーさんはそれを見守り、必要ならば喜んで全力で手伝う、それだけでいい。(持っていくべきではないという)正解を最初から押し付けたり、(持って出たこと、失くしたことを)咎めたりするのは、ホントーに子供の成長のジャマです。

その結果どうなるかを伝える

とーさんは子供に、「〜はダメ」「〜するな」「〜はやめて」の3つをあまり使いません。使う利点も使う必要もほとんど無いからです。

使いすぎると害になるとも思っています。あれもダメ、これもダメの、制限だらけの塀の中で暮らすような世界は、狭苦しくて息苦しくて、ちーっとも面白くない。

 


子供の行動を止めたり方向を変えさせたりするときは、

1 その結果どうなるか

2 正しい使い方

のどちらかを、その場で短く伝えます。

 


子供が夕ご飯を乗せた重いお盆を持ってイスから飛び降りようとしているとき、飛び降りた瞬間にお盆の上のハンバーグも牛乳もグチャグチャになってしまうことなど、予想できていません。

子供がクッキーのいっぱい入った箱を横向きにして、フタと台を両手で左右に思いっきり引っ張って開けようとしているとき、開いた瞬間にクッキーが爆発的に飛び散ることなど、予想できていません。

子供が赤ちゃんのオムツ換えの台によじ登ろうとしているとき、台とともにバランスを失って後ろ向きに倒れ、後頭部を床にぶつけ、さらに顔には台の赤ちゃんが乗る重い部分が勢いよく落ちてきて病院送りになることなど、予想できていません。

 


子供は、自分の行動の結果がどうなるのかを理解していないことが多いです。経験がないのだから、当然です。

また、正しい使い方を知らないものも多いです。見たこともないモノが無限にあるんだから、当然です。

じゃ、教えてあげればいーじゃん、ということです。

 

 

 

その結果どうなるかを伝える


フォークをグーで握ったまま、柄でテーブルをどんどん叩く

→フォークが壊れるよ。テーブルが壊れるよ。


フォークやスプーンをわざと落とす。

→フォークが壊れるよ。


ブラインドを引っ張る

→ブラインドが落ちてきて、頭にぶつかるよ。


オーブンをつける。

→熱くなって火傷するよ。


1歳児がトイレによじ登る

→滑るから落ちて頭をぶつけるよ。


手を拭いたタオルを投げる。

→それ、とーさん、まだ使うんだよ。投げたら、とーさん悲しいわ。


ぬいぐるみを投げる

→クマちゃんが「痛い痛い!」って言ってるよ。


おもちゃに乗る。

→オモチャが壊れて、使えなくなるよ。


冷蔵庫を開けると、中のものを触りだしてドアが閉められなくなる。

→冷蔵庫は、開けたらすぐ閉めるんだよ。中のものが悪くなって食べられなくなるからさ。


車の運転席を乗っ取り、ライトなどを点ける。

→バッテリーが無くなって、車が動かなくなるよ。とーさん、一緒に公園に行きたいんだけどなー。

 

 

 

正しい使い方を教える


明るいうちに部屋のライトを点ける。

→ライトは暗くなってから点けるんだよ。


オーブンをつける。

→オーブンは料理する時につけるんだよ。


1歳児がトイレによじ登る。

→トイレでおしっこするようになったら、ここに座ろうな。


テーブルに登る。

→テーブルは、ご飯を食べたりお絵描きしたりする場所だよ。


トイレットペーパーをクルクル引き出す。

→うんちした後に使うんだぞ。

 

 


「〜はダメ」「〜するな」「〜はやめて」の3つを短く言い聞かせるのは、指示が端的で分かりやすいという利点はあると思います。何をどうしてはいけないのかがすぐわかり、行動に移すことができます。緊急時や、重要な禁止事項には有効でしょう。


ちなみにとーさんは、危険や大きな実害がない限りは、上のように口を出すだけです。強制的にやめさせようとはあまりしません。自分で判断して、自分でやめるのを待ちます。そうこうしているうちに、オモチャが壊れたり、スプーンが壊れたりします。壊れりゃいーんです。それで学ぶんだから。

 

共感から解決、改善まで

問題が発生してから、とーさんが取る行動の順序です。


1 共感と安心

2 原因 

3 解決

4 改善 

 

 

もう少し書き加えると、


1 共感と安心 

共感を示し、安心させる言葉をかけます。このことで、子供の気持ちを落ち着かせ、話をする態勢を整えます。 共感と安心は、どちらが先の場合もあります。


2 原因 

安心したところで、問題の原因を一緒に考えます。


3 解決 

原因がわかったら、解決方法を一緒に考えて実行します。


4 改善 

またいつか起こらないように、今からできることを一緒に考えます。

 

 

いつも全部するわけではありません。場面に応じて必要な行動をとります。ただ、どのような場面でも、まずは共感することが大切です。共感があって初めて、問題解決へスムーズに進めるようになります。

共感が大切であるにも関わらず、そこを飛ばして2や3から入る人が多いように思われます。しかも悪くすれば、純粋に原因を探ろうとするのではなく、「どうしてそんなことをしたの!?」とイライラして子供を責めたりすることもよくあります。そして、「こんなこと、もうしないの!」「こうすれば良いでしょ!」と叩きつけるように解決方法を押し付け、幕引きになったり。。。とーさんはこういうやり取りを見るたびに、子供がかわいそうで心が痛みます。


2、3、4は「一緒に考える」というように書きましたが、子供が自分で考えてアイデアを出せることは稀です。なので、選択肢をいくつか出して選ばせるなど、「自分で考えた」という気持ちにさせるようにしています。

「自分で考えた」(と感じている)アイデアは、記憶に残りやすいし、実行しようという気になるからです。与えられた(と感じている)アイデアには、あまり興味や責任感が起こりません。それと、「自分で考えた」という自信をいろいろな場面で少しずつ積み上げ、自分のアタマで考えられる(という自信を持つ)ようにさせるためです。

3歳の現在では未来のことを考えるのは難しいようなので、改善方法はたいていこちらから提示しています。

 

 

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具体的な場面で、どのように対処するかを書き出してみます。

 


例1)子供が石垣から落ちて、ヒザをぶつけて泣き出したとき


1 共感し、安心させます

「ヒザ、痛いな!ぶつけてしまったなー!おー、痛い痛い!」

「でもね、大丈夫だよ。傷もないし、これならすぐ痛くなくなるよ。痛いの痛いの、飛んでけ〜!」


2 原因を一緒に考えます

「どうして落ちてしまったんだろうね?滑った?何かにつまずいた?あー、そうか。つまずいたんだね。あそこは、デコボコしてるもんな。」


3 解決方法を考えます

「あそこはデコボコしていてつまずきやすいんだけど、どうしたら良いと思う?よーく足元を見て歩く?とーさんが下でついて歩くか?あっちの石垣なら大丈夫かな?(子供が返事をする)そうか、わかった。じゃ、今度は足元をよーくみながら歩くんだね。そうすればデコボコがよく見えて、つまずかないもんな。良いじゃん、そうしよう!」

 

 

この例のように共感するのは、ダメージが大きかった場合に限ります。ダメージが小さいのに「痛かったねー!」と大きく反応したら、子供を痛がりにしてしまいます。ケガが軽くてそれほど痛くもなさそうだったら、安心する言葉だけかけます。「転んだら自分で起きる」をご参照ください。というか、そもそも「ダメージが軽い場合」なんて、こんなにアレコレ手をかけませんね。

この場面で共感が大事なのは、本当に痛いときに自分がどう声をかけてほしいかを考えるとわかると思います。

例えば、足がもげるくらい痛いときに、

「いてー!」→「大丈夫、大丈夫。」→「や、いてーし。」って、人によっては不愉快になりませんか?

「いてー!」→「そうだよね、痛いよね。でも、大丈夫だよ。」→「そーだよ、いてーよ。でも、大丈夫なのかな。」

となるかはわかりませんが、少なくとも痛みを理解している人に診てもらえたら、安心はしますよね。だってその人は(すでに痛みを乗り越えた)経験者か、対処方法が分かっている(から、大丈夫だと確信している)人だろうから。

 

似たような場面で、「もう!なんでそんなとこ登ってんの!?」「そんなとこ登ったあんたが悪いんでしょ!」と責められている子を見たときは、他人事ながらほんとーに辛かった。

 

 


例2)おもちゃの取り合いになった時


1  両者それぞれに共感します

「(和美に対して)あらあら、和美、ねーさんがオモチャとっちゃったね。和美も使いたかったのにな。無理やり取られたらやだよな。」

「(恵美に対して)でもなー、恵美だってこれを使いたいんだもんな。これ、大好きだもんな」


2 原因を考えます

「で、どうして取り合いになったんだろうね?2人で使ってたんじゃないのかい?恵美が先に使ってた?それを和美が引っ張ったって?あー、それで取り合いになったんだね。」


3 解決方法を考えます

「じゃ、どうしたら良いと思う?2人で一緒に遊ぶかい?それとも、恵美が使い終わったら、和美に貸してあげる?(恵美が返事をする)よし、じゃ、まず恵美が使って、終わったら和美に貸してあげるんだね。和美もそれで良いかな?」


4 改善方法を考えます

「人のオモチャを使いたかったら、なんて言うんだったっけ?『貸してください』って言うんだよな。」

 


映画「ショーシャンクの空に」で、モーガン・フリーマン演じるレッドが刑務所で「ここじゃみんなが自分は無実だというぜ。」と言う場面がありました。子供のケンカの原因は、多くがモノの取り合いです。そしてたいていは、どちらが加害者かはハッキリしています。ですが、ショーシャンクの罪人同様、子供の加害者にも言い分があるものです。その言い分に共感することで加害者ともつながりを持ち、話し合うことができるようになります。逆に共感がなければ、加害者は心を閉ざしたりして、問題の解決や再発防止につながりません。


余談ですが、こういう場面でよく聞く「仲良く使おうね」「仲良く遊ぶんだよ」のような「仲良く」というのが、とーさんはあまり好きではありません。集団で遊ぶ時には、決まりやマナーを守れば十分で、別に仲良くする必要はないと思っています。「仲良く」なんて、人に言われてするものではなくて、仲良くなった人と仲良く遊べば良いでしょう。「仲良くしなさい」なんていう言い方は、心の中まで縛りつけるようでどうかと思ってしまいます。

それと、「仲良く」遊ぶというのは具体的にどうすることなのかわかりにくいです。具体性のない指示は子供を混乱させ、心も行動も縛り付けてしまいます。

 

 

これまでとーさんは多くの問題にこの順序で対処していますが、今のところ上手く行っているように思います。なんにしても、まず共感することですよ。共感して子供とつながりができれば、問題への対処方法や解決方法なんていくらでも見つかりますから。

まず共感。話はそれから。

悲しいこと、辛いこと、寂しいこと、痛いこと、悔しいことなど、何が起こってもまず共感を示します。全ての話は、それからです。

 

大人も子供も、自分のことを理解してくれる人に対して心を開きます。そして、「この人なら自分の話を聞いてくれる」と思い、口を開くようになります。また、「この人の話なら聞いてもいいな」と思い、話し合いに応じたり説明を聞き入れたりするようになります。

まず共感を示すことで、子供を落ち着かせ、安心させることができます。また、子供とのつながりを作ることができます。子供との間につながりができれば、行き来は自由です。橋がなければ、川を渡ることはできません。どんなに説得力のある言葉も、川の向こうの相手には届かないです。

 


とーさんなんて、恵美や和美に何かあるといっつも、「そうそう!」「だよな〜!」「ワカル!」と繰り返しています。そうやって子供目線になってばかりいたら、だんだん大人のことが憎く思えてしまう瞬間も出てきてしまっている(子供目線になり切っている)今日この頃です。

 

 

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先日、こんなことがありました。

夜、家族4人でご飯を食べ終わり、みんなが歯を磨いてパジャマに着替えました。あとは本を読んで寝るだけです。

恵美はたくさん本を読んでほしいと思っていました。ですがその日は、恵美は昼寝がうまくできず疲れていたので、かーさんは早めに寝かせたいと思っていました。そこでかーさんは、本を3冊用意して、「これを読んで寝ようね」としました。普段読むのは、5冊くらいです。

用意した本を読み終わり、じゃあ寝ようかということで4人でベッドに入ろうとすると、「もっと本読みたかったのに〜」と恵美が泣き出しました。「たくさん読みたい」と思っていた恵美は、泣き出してしまいました。そこからは、何を言っても「もっと読みたかったのに〜!」と繰り返すばかりです。

「明日、たくさん読もうね」

「用意した本は全部読んだよ」

「今日は疲れたから、早く寝よう」

かーさんが何を言っても、返ってくる言葉は「もっと読みたかったのに〜!」です。ギャーギャー騒ぐばかりで、説得に応じる気配はありません。かーさんと恵美のやり取りは、平行線のまま。和美もそのすぐ横でベッドに入りはしましたが、寝ることができません。

「まぁまぁまぁ・・・」と、とーさんが間に入ることにしました。

「そうだよなー、もっと読みたかったよな。恵美は、本が大好きだもんな。」

恵美が泣き止みました。そしてボソッと「もっと読みたかったのに・・・」とつぶやきました。

「そうそう、もっと読みたかったんだよな。ワカル。」と、とーさん。さらに

「そーだよなー。本が大好きだからさ、いっぱい読みたいもんな。」と繰り返し、黙って聞く恵美。

そろそろいいかな・・・?と見えたので、説得開始。

「じゃあさ、恵美、また明日いっぱい本を読もうか。いっぱい寝ていっぱい元気になったら、明日は本がいっぱい読めるからさ。な?」

するとまた、うつむいていた恵美がウッウッウッと肩を震わせ始め、「もっと読みたかったのに〜!」と騒ぎがぶり返しました。

 


もう一歩だったのに!

とーさんの作戦は惜しいところで失敗でありました。

 


説得するのに、もう一手、何かが足りなかったのか、

だとしたらその一手は何か、

恵美の思いが強すぎてそもそも説得不可能なのか、

疲れていて(眠くて)何をしてもダメだったか、

とーさんにはわかりません。

 


騒ぎ出すことになる前に、予防することはできたと思います。かーさんが、「3冊だけ読む」というところで本人の合意をきちんと取っていなかったのがまずかったと、後で言っていました。

 


その後、少し騒いで収まりました。

 

 

 

これは失敗例というか、あまり上手くいかなかった例ではありますが、「まず共感。話はそれから」という手順の重要さが少しだけ見えたと思います。

かーさんの説得は、どれも分かります。現実的な話と、妥当な提案ですよ。大人がそう言われたら、「ま、それでいいか」と納得したり妥協したりするのに十分でしょう。

ですが、事実がどうか、説得が論理的に正しいか、提案が妥当かなんて、泣き騒ぐ子供にとってはどうだっていいことです。子供が泣いて訴えている時、いちばんに求めているのは、自分の話を聞いて気持ちを理解してもらうことです。気持ちを収めるのが先で、現実的な話はその後です。子供に共感を示していったん落ち着けば、じゃあどうしようかなと、現実的な問題にゆっくりと向き合うことができるようになります。

 

 

現役時代の島田紳助さんが、どこかの番組で言っていた話を思い出します。例によって、うろ覚えですが。。。

子供の相手をどうしたら上手くいくのかみたいな話から、紳助さんは「俺、子供の相手、めっちゃ上手いよ」と切り出しました。どう相手するのかというと、「そんなヤンヤヤンヤ言いなや。俺だって親やるのは初めてなんじゃ。わからんことも間違う事もあるわ。でもな、子供は一度やったことがあるからな、気持ち、めっちゃわかるで。」と。

暴走族が相手でも、まず「ワカル!ワカルで!」と入っていけば良いなんて事も言っていました。

やっぱ、まずは共感なんですよ。話はそれから。

 


ちなみに、これまではマイナスの感情に対する共感という話でしたが、楽しいことや嬉しいこと誇らしいことなど、プラスの感情にもまず共感することが大切です。

自分が嬉しいことについて同じような気持ちで喜んでくれる人に、自分の喜びを伝えたいと思うものです。そういう人を好きになったり、信頼したりするものです。

逆を考えてみると分かりやすいでしょう。例えば自分がスポーツの大会で優勝した時に、「ふーん、よかったね」とそっけない反応をする人は、好きにならないでしょう。嫌いにはならないとしても、その後何か良いことがあった時に、わざわざその人に伝えることはしないはずです。

 

子供が喜んでいたら、とーさんも自分のことのように一緒に喜びます。子供が「自分はよく頑張った」という気持ちでいるのなら、とーさんも「ホント、よく頑張ったよね」と誇らしく思います。こうした共感を繰り返し示すことで、子供とより強くつながることができます。

プラスの感情からもマイナスの感情からも、強いつながりを作ることはできます。つながっていれば、子供は話してくれるしこっちの話も聞いてくれるのだから、問題解決は簡単でしょ?

「わかった?」とは聞かない

とーさんは子供に何かを言い聞かせた後で、「わかった?」とは聞きません。あまり意味のない質問だからです。

親にアレコレ言われた後で「わかった?」と聞かれたら、とりあえず「うん」と言っておけばその場に幕を引ける、ということを子供は知っています。特に、親が怒っていたりうんざりしていたりしたら、次の一撃を避けたり親の愛情をつなぎとめたりするために、「うん」以外の返事はありえません。

「わかった?」「うん」というやり取りは、形だけのお約束のように見えてしまいます。


自分が言ったことを子供がわかったかどうか確認したいのであれば、

「とーさんは今、なんて言った?」

「とーさんが言った事を、もう一度言ってみて。」

と言います。

 


この質問で、少なくとも、言葉が頭に入っているかどうかはわかります。その上で、とーさんが言ったことを

・理解して

・記憶して

・次の機会に行動に移せるか

は、また別問題です。恵美はまだ3歳なので、頭と心の成長が必要な場合もあります。

 

 

「わかった?」という質問は、言葉通りの質問ではなく「大事なことなんだよ」という念押しや、脅しとしての効果はあると思います。脅しとしては、とーさんもごく稀に使います。

数日前、はしごを登っていた友達を恵美が下から引っ張るという、危険かつ迷惑な行為をしました。すぐその場で恵美を取り押さえ、襟をグッと捕まえて引き寄せ、耳元で「人を押したり引っ張ったりしないんだろ?あぶねーんだよ。わかったか?」と怖〜い低音で囁きました。恵美は泣き出しました。

あんなことして怪我をさせたら、泣いてお詫びしたくらいで許されるもんじゃないよ。コトの重大さを、泣いて学んでください。

ここだけを切り取ると、「とーさんが怖い」という記憶だけが子供には残りそうに見えるかもしれませんが、恵美とはそんな薄っぺらな信頼関係ではないととーさんは信じています。「人を押したり引っ張ったりしない」とは、もう100回も繰り返しています。似た場面で注意したことは、以前にもありました。

当人、言葉は理解して、記憶しています。でも、場所が変わったり何かに夢中になったりすると、つい引っ張ったりしてしまうのでしょう。「行動に移す」ということが、できたりできなかったりです。

 

 

ジャパネットたかたの高田明氏が、こんなことを言っていました。

「伝える時に危険なのは、伝えた気になること。100%伝わった時には、相手の反応がある。」

高田氏は伝えた時に、カメラの向こうにお客さんの表情が見えるそうです。売れるかどうかは上手く伝えられたかどうかで決まり、伝えた時に(売れるかどうか)わかるとのこと。

また、「売れなかった時は、自分のスキルの無さに愕然とするんです。」とも言っていました。


つまり、

・売り手としての自分が上手く伝えられたら、お客さんは買ってくれる(行動する)し、

・売れるかどうかは(商品やお客さんではなく)自分次第、

ということです。

 

親子の間のやり取りも、同じです。

親がきちんと伝えられたら、子供は行動するでしょう。わかっていたら行動に現れるので、行動を見ていればわかっているのかどうか判断できます。「わかった?」と聞くのではなく、行動を観察すること。

 


また、とーさんは高田氏のように、「子供がわかったかどうか」ではなく、「自分が伝えられたかどうか」という視点を持つようにしています。これがとても大切。

子供の行動が変わらなかったとしたら、それはとーさんの伝えるスキルがなかったからです。

 


この考え方、当然ですよね。だって、相手は子供ですから。知識も経験も理解力も心も未発達の子供ですから。伝えるのは、至難の業です。

子供に言葉だけ投げかけておけば、(例えば問題行動がおさまるなど)子供の行動が変わるなどという、そんな簡単なことはありえません。そんなのだったら、レコーダーでもできます。言葉、声色、表情、タイミング、子供の発達段階、信頼関係など、いろいろな要素が合わさって初めて大切なことが伝わるんです。

 

 

それに、「自分が伝えられたかどうか」という視点を持つと、子供を責める気持ちがなくなります。


「前にも言ったじゃん!」

とーさんは2度、恵美にこれを言ったことがあります。アホか、オレは?

コレを3歳児に言い放って、何かが変わるとでも思っていたのかね?とーさんが「伝えた気」になっていただけ。高田氏の「伝える時に危険なのは、伝えた気になること。」という言葉が刺さります。自分の行動を正当化して子供を責めるだけの、ほんとーにダメな発言でした。


「だから言ったじゃん!」

コレも1度言ったことがあります。自分の正しさを無理やり押し付けるように、子供に確認させているだけ。こんなこと言っても、事態の改善につながらないでしょ。

 

恵美さん、ごめんなさい。とーさんも、修行中なんです。


何かが上手くいかなくても、子供は悪くない。とーさんが教えていないか、教えるスキルが無かったかです。

毎晩「ありがとう、大好きだよ」と伝える

「今日も一日、恵美のおかげで楽しかったよ。ありがとう。大好きだよ。明日もいっぱい遊ぼうな。」

とーさんは毎晩、子供たちにこんなことを、絵本を読んだ後や、抱っこしてベッドに連れて行く時に伝えています。


子供たちには本当に感謝しています。子供らが一緒にいてくれるおかげで、とーさんは毎日、本当に楽しいし嬉しい。

そこにいてくれるだけで、本当にありがたいです。子供たちには、感謝しかない。

 


少し前に日本で、引きこもりの男性に何人もの子供が殺傷される事件がありました。

車が園児の列に突っ込む事故もあり、何人もの子供がなくなりました。老人の運転する車が猛スピードで信号無視して交差点に飛び込み、3歳の女の子と母親が亡くなるという事故もありました。

子供が亡くなるって、悲しすぎてどうにもやりきれない。取り残されたご両親の痛みは、察するに余りあります。


「まさか、自分の子供にそういうことが起こるとは思えないよね。」

こんな事をとーさんの知り合いは言っていたけど、子供を亡くしたみなさんだって、多かれ少なかれ心のどこかではきっと「まさか」って前の晩までは思っていたでしょう。

でも、それは起こったんです。

 

 

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ご飯の準備をしていると、必ず何度かは、恵美がイスを持って手伝い(?)に来ます。まだ背が低いので、とーさんの手元を覗くにはイスが必要なのです。

で、イスに乗ると、ベンチの上には大好きなプチトマトのパックが見えたりするわけです。そして「これは・・・恵美の、これは・・・和美のね!」とパックを開けて、自分たちの皿に山のように盛ってしまいます。

 

「チッ・・・。」と思っても、もちろん顔には出しません。


「トマトは洗ってから盛るんだぞ。」と、とーさんが数個だけ取って残りをパックに戻すと、「恵美が冷蔵庫に片付ける!」とパックを奪い取ります。そしてイスから降りる時にパックを落として、トマトを床にブチまけます。

気がつけばすぐ横には、和美も子供用の小さなイスに立って、ベンチにへばりついています。

 

狭いスペースに人多すぎ!

 

「おいおい、ご飯の準備ができねーじゃんか!ジャマだからあっち行ってくれ!」とは、もちろん言いません。

 

言いませんがね、ジャマですよ。

あんた達がいたら、とーさんはご飯の準備ができないんです。なのに「お腹すいた!」とか言わないでください。

そりゃあイラッとしますよ。

 


でも、イラッとするのはほんの一瞬です。それで終わり。

 


だってね、

もし次の日、2人が事故や事件に遭遇して2度と会えなくなったら、とーさんはこの台所でのやり取りをどう思い出すでしょう。

どんなにジャマであっても、そのうえ「ご飯まだ?」って言ってきたとしても、「あんときゃ、良かったな。憎めないヤツらだよ。」って、幸せで楽しい思い出として振り返るでしょう。

どんなにジャマしても、かわいいもんじゃないですか。とーさんを手伝いたいんです。とーさんが何してるか見てみたいんです。何でも一緒にしてみたいんです。マネしたいんです。いろんな事を自分でしてみたいんです。

 


とーさんはいつも、「一緒に過ごせるのは今日が最後かも」と思ってすごしています。悲しい事件や事故をニュースで見た時も、そうでない時も。意図的にではないのですが、そうした危機感から逃れられません。そういう性格なのでしょうか。

子供らと明日から会えなくなるかもと思えば、子供が何かをしでかしたとしても、許せたり、冷静に対処したりできます。怒りや苛立ちの感情をコントロールできるわけです。

逆に自分が明日死ぬとしたら、子供達に今日の1日で何を残してあげられるだろう、と頑張れます。

そして、一緒にいてくれてありがとうという気持ちや、大好きだという気持ちが、自然に起こります。

 


「8秒間強く抱きしめて、親子のつながりと子供の自己肯定感を伸ばす」というような方法がありますが、とーさんが言っているのは「方法」というものでもありません。毎日が子供との大切な1日だからそうしているだけです。

子供たちには、心から感謝しています。とーさんかーさんと一緒にいてくれて、ありがとう。


大切なお子さんを亡くされた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。