毎晩「ありがとう、大好きだよ」と伝える
「今日も一日、恵美のおかげで楽しかったよ。ありがとう。大好きだよ。明日もいっぱい遊ぼうな。」
とーさんは毎晩、子供たちにこんなことを、絵本を読んだ後や、抱っこしてベッドに連れて行く時に伝えています。
子供たちには本当に感謝しています。子供らが一緒にいてくれるおかげで、とーさんは毎日、本当に楽しいし嬉しい。
そこにいてくれるだけで、本当にありがたいです。子供たちには、感謝しかない。
少し前に日本で、引きこもりの男性に何人もの子供が殺傷される事件がありました。
車が園児の列に突っ込む事故もあり、何人もの子供がなくなりました。老人の運転する車が猛スピードで信号無視して交差点に飛び込み、3歳の女の子と母親が亡くなるという事故もありました。
子供が亡くなるって、悲しすぎてどうにもやりきれない。取り残されたご両親の痛みは、察するに余りあります。
「まさか、自分の子供にそういうことが起こるとは思えないよね。」
こんな事をとーさんの知り合いは言っていたけど、子供を亡くしたみなさんだって、多かれ少なかれ心のどこかではきっと「まさか」って前の晩までは思っていたでしょう。
でも、それは起こったんです。
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ご飯の準備をしていると、必ず何度かは、恵美がイスを持って手伝い(?)に来ます。まだ背が低いので、とーさんの手元を覗くにはイスが必要なのです。
で、イスに乗ると、ベンチの上には大好きなプチトマトのパックが見えたりするわけです。そして「これは・・・恵美の、これは・・・和美のね!」とパックを開けて、自分たちの皿に山のように盛ってしまいます。
「チッ・・・。」と思っても、もちろん顔には出しません。
「トマトは洗ってから盛るんだぞ。」と、とーさんが数個だけ取って残りをパックに戻すと、「恵美が冷蔵庫に片付ける!」とパックを奪い取ります。そしてイスから降りる時にパックを落として、トマトを床にブチまけます。
気がつけばすぐ横には、和美も子供用の小さなイスに立って、ベンチにへばりついています。
狭いスペースに人多すぎ!
「おいおい、ご飯の準備ができねーじゃんか!ジャマだからあっち行ってくれ!」とは、もちろん言いません。
言いませんがね、ジャマですよ。
あんた達がいたら、とーさんはご飯の準備ができないんです。なのに「お腹すいた!」とか言わないでください。
そりゃあイラッとしますよ。
でも、イラッとするのはほんの一瞬です。それで終わり。
だってね、
もし次の日、2人が事故や事件に遭遇して2度と会えなくなったら、とーさんはこの台所でのやり取りをどう思い出すでしょう。
どんなにジャマであっても、そのうえ「ご飯まだ?」って言ってきたとしても、「あんときゃ、良かったな。憎めないヤツらだよ。」って、幸せで楽しい思い出として振り返るでしょう。
どんなにジャマしても、かわいいもんじゃないですか。とーさんを手伝いたいんです。とーさんが何してるか見てみたいんです。何でも一緒にしてみたいんです。マネしたいんです。いろんな事を自分でしてみたいんです。
とーさんはいつも、「一緒に過ごせるのは今日が最後かも」と思ってすごしています。悲しい事件や事故をニュースで見た時も、そうでない時も。意図的にではないのですが、そうした危機感から逃れられません。そういう性格なのでしょうか。
子供らと明日から会えなくなるかもと思えば、子供が何かをしでかしたとしても、許せたり、冷静に対処したりできます。怒りや苛立ちの感情をコントロールできるわけです。
逆に自分が明日死ぬとしたら、子供達に今日の1日で何を残してあげられるだろう、と頑張れます。
そして、一緒にいてくれてありがとうという気持ちや、大好きだという気持ちが、自然に起こります。
「8秒間強く抱きしめて、親子のつながりと子供の自己肯定感を伸ばす」というような方法がありますが、とーさんが言っているのは「方法」というものでもありません。毎日が子供との大切な1日だからそうしているだけです。
子供たちには、心から感謝しています。とーさんかーさんと一緒にいてくれて、ありがとう。
大切なお子さんを亡くされた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。