嬉しい事、楽しい事で子供を動かす。
「ママ、もう行っちゃうからね。バイバイ!」
子供が公園や友達の家から帰りたくない時、母親がこんな風に言うのを何度か聞いたことがあります。
「まだ遊んでいたい。帰るのはイヤ。でも、ママがいなくなってしまうのはもっとイヤ。」
遊びたい気持ちと置いていかれる不安や恐怖を天秤にかけ、子供はママについていく方を選びます。
とーさんもあまりに頭に来た時は、こういう「置き去りの刑」をウッカリ言い放って脅しをかけてしまいそうになるのですが、これまで何とか避けてきました。かーさんとも、「それはやめようね」と話しています。
不安や恐怖で子供を背後から煽るのではなく、嬉しいことや楽しいことで子供を前から引っ張るように動かしたいものです。
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子供にとって、母親は世界のほとんど全てのような存在です。母親に捨てられたらもう生きていけない、くらいに子供は思っています。そんな最愛のママが自分を置いて行ってしまおうものなら、それは世界の終わりです。
母親は単なる脅しのつもりで言っていても、子供は本気でとらえます(だから効くわけで)。だったら、そんなセリフはあまりにも残酷すぎます。
この「置き去りの刑」以外にも、オヤツをあげない、オモチャを取り上げる、外に遊びに出さない、強制的に連れて帰る、といった脅しも考えられます。
どれもある程度は効果がある(子供を動かすことができる)のですが、副作用の方が心配です。
不安や恐怖、特に置き去りの刑で子供を動かそうとすると、親とのつながりに不安を覚え、自分が生きていることへの基本的な肯定感が弱まります。また、自分のしたいことが親の意見とぶつかりそうな時に、ビクビクして親の顔色を伺うような性格になりそうな気がします。言いたいことやしたいことがあっても、自分の主張を引っ込めたり、挑戦しなくなったりするのではないでしょうか。
対して、嬉しいことや楽しいことのようなプラスの要因で子供を動かし続けたら、子供は前向きな姿勢になり、物事の良い面を見据えて判断するようになります。
「早くウチに帰って、美味しい晩ご飯の準備を一緒にしよう!」
「このオモチャ、〇〇ちゃんと一緒に使って遊んだ方が楽しいよ。」
「次は〇〇ちゃんに貸してあげたら、〇〇ちゃんが喜ぶだろうね。」
「これ全部お片づけができたら、部屋がキレイで気持ちがいいぞー。」
あらゆる場面で、こういった声かけをするようにしています。
これで子供が動くのであれば、親子とも気持ちがいいではないですか。
もちろん、こんなお花畑なセリフでいつも子供が動くわけではありません。だから「5秒数えて、強硬手段」をとるわけです(強硬手段を取る場面は、限定的ではありますが)。
矛盾していますか?
そうかもしれません。
でもね、
楽しいことで動かない → 強硬手段
の方が、
不安や恐怖で動かない → 強硬手段
よりも、
子供の心にダメージが少なくていいじゃないですか。
とーさんが無理やり引っ張っていったその先に楽しいことがあるんだったら、まだ救われるというものですよ。