トイレトレーニング4 子供の背中を押すもの
トイトレの完了へと子供の背中を押すのは、だいたいのところ下の3つではないかというのが、とーさんの仮説です。
①親がかけるプレッシャー
②オムツやパンツが濡れて気持ち悪いという感覚
③「トイレでするって良いよね/オムツ(でする)ってカッコ悪い」という意識
①は取りあえず置いておいて、
②か③のように感覚か意識が変化したら、トイトレは完了へと大きく前進します。
恵美のトイトレは、パンツを濡らさずに長期間過ごした後で②の感覚が芽生えて、完了となりました。
友達やきょうだいがトイレでしているのを見て、「よし、自分も!」となるのが③のパターン。お漏らしして「しまった!やっちまった!!」と感じてトイレを強く意識し始めるのも③でしょう。
具体的な方法はいくつか考えられますが、何れにしても、意識の変化か感覚の変化のどちらかを引き起こすことが、トイトレでは重要だと考えています。
で、①なのですが・・・
どの保育士さんも専門家の先生もしまじろうもこぞって、トイトレでは「怒らない」ということを強調されています。なので、①は方法としては論外でしょう。とーさんも、これは反対です。
そもそもトイトレに限らず、
不安、恐怖、罪悪感、羞恥心、自己無能力感、他者からの失望で子供を動かすのは、好きではないです。
子供が悪くないのに怒ったり怒鳴ったりするのは、本当に嫌い。
オムツをいつまでもつけていてはいけない理由ってなに?
オムツを早く取らなければならない理由ってなに?
不潔だから?
ウンチをオムツの中でしたら、臭いが迷惑だから?
取り替えが大変だから?
とーさんはオムツで生活したいとは思いませんが、ずっとオムツでいてはいけない根本的な理由は見つかりません。
なので、オムツでいるかどうかは本人が決めることと考えて良いでしょう。であるならば、子供がオムツでオシッコをしたことに怒ったり怒鳴りつけたりするのは、おかしなことなんです。
落ち着いて考えれば、「おかしいよね」とは思います。
怒らない、イライラしない、ガッカリしない。これをいつも心に留めておいたつもりでした。
とはいえイライラしてしまう時もあったけど、結構にこやかに前向きな姿勢で恵美に接しているつもりでした。
でも実は、自分で思っている以上に怒ったり不機嫌な態度をとったりしていたのでしょう。
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ある日の外出先でのこと、
恵美がオムツの中にウンチをしました。おそらく、ウンチが出そうな感覚はあったけれども、トイレではしたくなかったのでしょう。そこのトイレは暗くて少し怖いらしいのです。
ウンチの匂いに気がついて、「恵美、ウンチ出たね。オムツ替えよう。」ととーさんが言うと、恵美はササッと速足で逃げ出しました。
その時とーさんはすでに決めていました。トイトレで何があっても、怒らないし責めないし、ガッカリした顔も見せないと。
「大丈夫だよ、恵美。とーさん、怒ってないから。大丈夫。」追いかけっこのようにして30mくらい歩き、隠れるように下にしゃがみこんだ恵美を抱え上げて、元の場所へと歩き出しました。歩きながら、抱っこした恵美に「ウンチしてさ、お尻が気持ち悪いよな。オムツを替えてスッキリしようぜ」などといつものトーンで話していたら、小さな声で恵美がボソリとつぶやきました。
「とーさん、怒らなかった。」
一瞬、何を言っているんだろうと思いましたが、すぐにその意味がわかりました。恵美はオムツでしたり外に漏らしたりするたびにいつも、「とーさんは怒ってる」と思っていたのでしょう。
とーさんが口でなんと言っていても、その様子から不機嫌なのはバレていたんですね。たとえ怒っていなくても、とーさんが元気なく床を拭いていたり、口数が少なくなったりしたら、「怒ってるかも」と恵美は思うでしょう。
思いっきり不機嫌な顔をしたり、「なー、ウンチもオシッコもトイレでしよーぜー。できるんだからさー。」と責めたこともありましたから。
そのようなネガティブな反応よりも、「大丈夫、次はできるよ」とか、「あと5秒早かったら、間に合ったなー!」などと、前向きに励ますことの方が多かったと思っていたのは、とーさんだけだったようです。
恵美はおもらししても、いつもと同じようにニコニコと元気な様子で変わりなく、怒っていると思われるとーさんに対する態度もいつもと同じでした。落ち込んだり卑屈になったり、反抗的になったりモノや和美にあたったりする事もなく、いつもと同じ。
でも、心の中では、「とーさん、怒ってるんだろうな。嫌だな。怖いな」と思っていたのでしょう。
「とーさん、怒らなかった」
そう言われて初めて、恵美の気持ちに気がつきました。とーさんのことをどう見ていたか、どんな気持ちでトイトレに取り組んでいたか、ようやく理解できました。
同時に、早くトイレでできるようになってほしいばかりに「トイトレの完了」が目的化してしまい、子供が成長したり幸せになったりというとーさんの目指す本来の目的を忘れていた事に気がつきました。
鈍感で単純な自分があまりにも情けなくなり、それでもいつも笑っていてくれる恵美がたまらなく愛おしくなり、小さな身体を抱っこしながらとーさんは泣きました。こんな父親でごめんなさい。
恵美は覚えていないと思いますが、この日のことをとーさんはずっと忘れません。
①親がかけるプレッシャー
これは、子供の背中をトイレへと押すかもしれません。でも、プレッシャーをかけることでトイレを成功させても、子供が適切に成長するとも幸せになるとも思えません。
①は方法としては論外ですし、コレでトイトレを成功させようという人はほとんどいないと思います。
とはいえ、どんなに気持ちを抑えようとしても、怒ったりイライラしたりガッカリしたりといった様子を子供に見せてしまっているかもしれないということは、いつも心の留めておいたほうがいいでしょう。子供の気持ちを理解する助けになります。
恵美のトイトレが長引いたのは、とーさんがイライラしていたことと、それを感じ取っている恵美の気持ちをとーさんが理解していなかったことが原因なのかもしれません。トイトレは、反省ばかりです。
トイレトレーニング3 「ずっとオムツではダメなのか問題」への考察
どうしてオムツは、やめなければいけないのでしょうか?
いつまでもオムツをつけていたら、ダメですか?
「え?」って思いましたか?
「言っている意味がよくわかりませんが・・・」と?
ですよね、分かります。
この質問をかーさんや何人かの知り合いにしたら、いつも変な空気になりましたから。
変な空気になったところで、このエントリの要点を書いておきます。それは、「子供と取り組む課題は、ゼロベースで考えて課題をより細分化しよう」ということです。
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恵美のトイトレが泥沼にはまった頃、リビングのオシッコを拭き取りながら、ウンチでベットリのパンツを洗いながら、とーさんはこんな「ずっとオムツではダメなのか問題」を一生懸命に考えることで現実逃避していました。「パンツにならなきゃ、ダメですか?」と。
真剣に考えましたよ。それなりに答えも出ました。
結論は、「ずっとオムツでも良い」です。
ずっとオムツのまま成長していくことに、根本的な問題はないように思われます。
ただし、不便さや窮屈さ、人にバレた時に変な空気になるというリスクはあるので、オムツよりもパンツの方が良いです。
恵美はトイトレのさなか「オムツが良い!」と言っていました。本人に確かめなかったのですが、
「パンツじゃなくて、オムツでいいじゃん」
「トイレじゃなくて、オムツですればいいじゃん」
このどちらかを言いたかったのでしょう。
パンツでもオムツの時と同じように排泄していたので、その真意はおそらく後者だと思います。
つまり、
「トイレにわざわざ行かなくても、オムツやパンツでしちゃえば良いじゃん。履き替えれば問題ないでしょ?」
ということです。
トイトレで重要なのは「トイレで排泄できるかどうか」なんですよね。「はいているものが、オムツかパンツか」ってのはどうでもよくて。
とーさんの出した答えは、そもそも方向が間違っていました。
間違ってはいましたが、「パンツって良いよ」とは言わず、「トイレって良いよ」とは言い続けていたので、親子とも同じベクトルには(反対向きではあれ)乗っていたようです。
「ずっとオムツでも良い」という結論で、とーさんの気持ちは軽くなりました。
オムツを卒業しなければいけないのは、学校や幼稚園ではトイレで排泄しなければいけないからです。それがオムツ外れの年齢を決めていたり、急がせたりしている場合があります。なんなら、ずっと家にいるのであれば、ずっとオムツでも良いじゃないですか。
オムツ外れが遅くても、ずっとオムツでいたとしても、子供の何が悪いわけでもありません。親の育てかたが間違っているわけでもありません。
恵美の場合、韓国語の土曜学校が「オムツ交換はしません」ということだったので、そこに合わせて少し急ぐことになりました(間に合いませんでしたが)。これがなければ、もう少しのんびり、オムツ生活を謳歌していたかもしれません。
「3歳クラスなのに、みんなもうオムツじゃないの?」と少し驚きましたが、たぶんみんな卒業しているのでしょう。韓国は厳しいらしいです。知り合いの韓国人ママさんは、トイトレで「めちゃくちゃ叱った」と言っていました。彼女の子供は3歳で、当然のようにパンツでした。
子供との課題に取り組む時は、ゼロベースで考えることが重要だと改めて思いました。子供はいつもゼロベースで世界を見て、考えています。「子供の目線で見る」というのは、「ゼロベースで考える」ということとかなり近いです。
大人には当たり前のことでも、知識と経験が乏しい子供には「どうして?」となりますよね。「どうしてお腹が空くの?」とか、「どうしてとーさんはたくさん食べるの?」とか。
当たり前だからといって思考停止したり結論にスキップしたりしないで、ゼロベースで考えてみたら、子供がぶつかっている問題や抱えている悩みが理解できることがあります。
「ずっとオムツではダメなのか問題」も、ゼロベースの問いです。
トイトレについては、恵美にしてみれば、
トイレは
・行くのが面倒
・遊びを中断したくない
・トイレまでオシッコを我慢するのがしんどい
・便座が冷たくてヤル気なくなる
・お尻を拭くのは余計な仕事
・最後に手を洗うとか決まりが多い
・公園のトイレは汚い
・ショッピングセンターのトイレは遠過ぎ
対して、
オムツは
・いつでもオシッコできる
・どこでもできる
・遊びながらもできる
・出そうになっても急がなくて良い
・ズボンを脱ぐ手間もいらない
・汚れたらとーさんが換えてくれる
・オムツ交換はトイレに行く回数より少ない
というところでしょう。
これだけオムツに利点があり、トイレに不利点があるのであれば、オムツをやめてトイレに行く意味が理解できるわけがありません。オムツの中が不潔なことくらい問題なしです。いえ、不潔とすら思っていないかもしれません。
ゼロベースで考えると、子供目線の課題がいろいろと見えてきます。この一つひとつをクリアしていくことが、より細かく見たトイレットトレーニングです。
全ての課題に対して対策する必要はないですよね。ただ、少なくとも課題を知っているだけで、子供の一見「不可解」な行動や拒否反応も、理解したり共感的に対応したりできるようになります。イライラは少なくなると思います。
恵美は練習の甲斐あって、トイレでの排泄は4ヶ月ほどでできるようになりました。その後、それにもかかわらずトイトレが長引いたのは、上のような気持ちや考えが変わらなかったのが大きな理由と推測されます。バットの振り方はマスターしたけど、「バッターボックスで振ろう!」という気持ちや考えにならなかったんですね。あくまでも、推測ではありますが。
気持ちや考えを変えるにはどうしたら良いかというと、環境を整えて、あとは本人が変わるのを待つのみです。成長による変化も見込めます。
トイトレの前回エントリでも書きましたが、とにかくとーさんはできる限りのことはやりました。あとは天命を待つのみならば、気楽なものです。怒ったりイライラしたりすることも、ほとんどなくなりました。自分の意思でコントロールできるくらい、小さな感情になりました。
とーさんがここにたどり着くのに、どれだけの時間がかかったことか。とーさんの学びや成長のスピードは、恵美の成長の速さと比べるのも申し訳ないほどお粗末なものですよ。
トイレトレーニング2 その後やってきたドロ沼
恵美のトイトレは、
開始 2歳8ヶ月
完了 3歳6ヶ月
でほぼ目処が立ちました。10ヶ月かかったことになります。
その後(3歳8ヶ月現在)も夜はオムツをつけて寝ていますが、日中はパンツで過ごせるようになった時点で、幼稚園に通うのに支障がないという意味で、トイトレ完了としました。
夜のオシッコはコントロールできるものでもないので、しばらくはオムツで寝ることにします。寝ている間にオシッコをしなくなったら、夜もパンツに切り替えます。
寝ている間にオシッコをしなくなるためには、膀胱の容量が十分になることと、抗利尿ホルモンが十分に分泌されるようになる必要があります。膀胱は4〜5歳で十分な大きさになるようです。
ちなみにベネッセの調査では、37%の子供がトイトレに6ヶ月以上かかったようです。恵美の10ヶ月は、平均より少し長めくらいと言えるでしょう。
★トイトレにかかった期間についてのベネッセ調査結果
1ヶ月未満 17%
1〜2ヶ月 10%
2〜3ヶ月 14%
3〜6ヶ月 22%
6ヶ月〜1年 22%
1年以上 15%
(2015年4月実施、309名対象)
今になってみれば「10ヶ月って、平均よりもちょっとかかったくらいだね」くらいに軽く思えますが、トイトレ中はどこまでも続くドロ沼の戦いのように思われました。というのも、
・ウンチもオシッコも出そうになったことが分かり、かつ、
・トイレでできるようになった
後でも、「今まさに出る!」というタイミングでこちらがトイレに連れていかなければ、そのままオムツやパンツに全部してしまうという期間が6ヶ月近くあったからです。この期間が長かったのが、恵美さんのケースの特徴かと思います。
トイレに行った記録をノートにつけて、次のタイミングを見計らって声をかけ続けていればトイレでできるのですが、うっかり声かけが遅れてしまうといつの間にかパンツが濡れていたり。「トイレでできるのに、何で?」と不思議に思いましたが、この疑問は解決しないままです。
この期間中もノーパンでいるときは、90%はトイレでできていました。だから、いつもノーパンで過ごしていればトレーニングはもっと早く完了したかもしれません。
ですが、日中は週6で外に出かけるスケジュールだったので、ノーパンで過ごせるのは朝晩だけ。それに、パンツをはいていてもトイレに行けるようになってほしかったので、ノーパン作戦をとーさんはあまり重視していませんでした。この考えがハズレだったことは、後になって気がつきました。
同時期にトイトレをしていた知り合いのお子さん2人は、その期間(便意を感じトイレでできるようになってから、オムツ外れまでの期間)を2週間や1ヶ月で終えています。もっと時間のかかった子ももちろんいたと思いますが、とーさんの周りで聞く限りでは、
・ノーパンで漏らすと「しまった!」という気持ちになる
・パンツで漏らすと気持ち悪い
というどちらかで「次からは頑張ろう」という本人の意識改革が起こり、トイトレが進んだようです。
対して恵美さんは、
・ノーパンで漏らしても、「しまった!」とあまり感じなかった・・・?
・パンツで何を漏らしてもへっちゃら。
という具合でした。
ネットで方法を調べ、知り合いに相談し、できる限りの事はしましたが、結局とーさんは打つ手が見つかりませんでした。ただ、4歳や5歳になってもオムツをつけているとは考えにくいので、「そのうちトイレでするようになるでしょ」くらいに最終的には楽に考えるようにして、気長に待つ構えでした。
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トイトレについての前回のエントリで、トイトレ前半の課題を挙げました。
1 体の準備ができる
2 トイレに行く
3 出そうになったことに気づく
4 出そうになったことを知らせる
5 踏ん張る
6 お尻からうんちが出ることを知る
7 トイレにしばらく滞在する
トイトレ開始から4カ月半、1〜7までで「トイレで大小ともにできるけれども、トイレ外でしてしまう時もある」というところまでトレーニングは進んでいました。
ここからの課題は
・いつでも
・どこでも
・誰とでも(1人でも)
・パンツの時もノーパンの時も
トイレに行って排泄ができるようになることです。
生活の中での状況を加味すると、具体的な課題は下のようになります
8 家でノーパン状態から大小ともトイレでいつもできる
(=便意を感じ、トイレでいつもできる)
9 家でパンツ状態から大小ともトイレでできる
(=8ができた上で、パンツに出すことをやめられる)
10 外でとーさんと大小ともトイレでできる
(=9ができた上で、不慣れなトイレでもできる)
11 外でとーさん以外の人と大小ともトイレでできる
(=10ができた上で、不慣れな人と又は自分だけでトイレでできる)
12 自分からトイレに行く(と誰かに声をかける)
13 「パンツが濡れるのは気持ち悪い」という感覚を覚える/お漏らしはマズイという意識が芽生える
繰り返しになりますが、恵美はこの8〜12をクリアするのに6カ月近くかかりました。
8〜11は、1つずつゆっくり進んでいきました。
9〜11ができるようになっても、パンツをはいているとそのまま漏らすことが多く、家ではノーパンで過ごすことが多かったです。
11までは、とーさんやかーさんがいつも声をかけてトイレに誘っていました。
12ができるようになると、トイレ成功率が上がりました。でも、まだ完了ではありません。「トイレでしよう」という緊張感や切迫感はないため、漏らすこともあるからです。
とーさんがトイトレ完了を確信したのは、13をクリアした時です。その瞬間を、今でも覚えています。
ある日のチャイルドケアの帰り、建物から外に出て車に乗ったのですが、恵美がチャイルドシートに座りたがりませんでした。どうしたのか尋ねると、「オシッコしたから、座りたくない」とのこと。初めて聞く感想でした。
それまでは、パンツが濡れていてもウンチでべっとりでも平気だったのに、たった一回のオシッコごときで座るのが気持ち悪いとは。
そしてその日から、トイレ成功率がほぼ100%になりました。パンツにもオムツにも、漏らさなくなりました。
上に書いた、8〜12 (〜13)を2週間や1カ月で終えてしまう子はおそらく、8か9を練習しているうちに何度かお漏らしして13をクリアし、トイトレ完了となっているのではないかと思われます。
トイトレ後半に6カ月かかった恵美と、1カ月前後で終えてしまった友達との違いは何だろうと、いまだに疑問です。
恵美が2歳まで布オムツを使っていたからかなとも考えましたが、あまり関係はなさそうです。布オムツでも紙オムツでもウンチをした後のべっとり感は同じだからです。それに、布オムツでおしっこするとびちゃびちゃになりますが、割とすぐに交換してしまうので、オムツびちゃびちゃの時間的な長さは紙オムツとそれほど変わらないと思います。
トイトレ後半で最も効果的だったのは、ノーパンで過ごすことでした。
好きなキャラクターのパンツを買ってあげたり、テレビやゲームを成功報酬(失敗の罰則)として利用したり、親が諭したり叱ったり激励したり褒めたり怒ったり喜んだり・・・。いろいろな方法やケースを見聞きし試しましたが、結局のところ「ノーパンで過ごす」というシンプルな方法に行き着きました。これは恵美だけでなく、知り合いの子供たち(少なくとも3人)も同様です。
お尻が濡れる感覚を忘れるくらいの期間を、ノーパンで過ごさせます。すると、ある日パンツでお漏らししたとき「気持ち悪い」と感じて、それ以降はお漏らししないようになります。
これがとーさんの仮説です。とーさんが言うまでもなく、皆さんご存知で当たり前のことかもしれません。
そうかもしれませんが、とーさんほどこの仮説を強く意識した人は多くないと思います。だって、ここだけで6ヶ月かかったんだから。
次に控える和美さんにも、同じ手が通じることを祈っています。
明るさはジョーカー
髪をばっさりと短く切った日、3度も中国人に中国語で話しかけられました。そんな刈り上げのおっさんのブログは、こちらになります。
とあるの朝ごはんでのこと、和美がいつもは食べているブロッコリーとカボチャを、テーブルの上で手でグチャグチャしていました。「いらない!いらない!」と。理由はわかりませんが、何か虫の居所が悪かったのでしょう。気が向けば食べるのに、皿ごとひっくり返してしまいそうな勢い。
さあ、とーさんの出番です!
「よーし、じゃ、とーさん食べちゃおっかなー!?わー、ブロッコリー美味しそ〜!和美、ありがと〜!いっただっきまーす!」
すると和美は
「食べる!食べる!」
パクパク食べて、ごちそうさまとなりました。
別の日のことです。そのころ恵美のトイトレは、出口の見えない泥沼にはまっていました。思いつく限りのアイデアを試し、人からアドバイスをもらい、それでもなかなか抜け出せずにいました。
そんなある日のこと、恵美の前回のオシッコから2時間以上が経ち、そろそろ次のオシッコが出るタイミングになりました。「出ない、出ない!」と言う恵美を、かーさんはトイレに連れて行きました。オシッコはだいたい2時間ごとだったので、今すぐ出そうではないにしても、踏ん張れば出るくらいの貯水量はあったはず。
しかし、嫌がる恵美はトイレで集中できず、次第にかーさんと恵美はトイレの中で険悪な雰囲気になっていきました。数分後、(中略)かーさんは怒鳴る、恵美は泣く・・・、これはいけませんよ!
さあ、とーさんの出番です!
「あっるっこ〜、あっるっこ〜、わたっしは〜げーんき〜!」
台所にいたとーさんは、トトロの「散歩」を元気に歌いました。
険悪な雰囲気が明るくなることはありませんでしたが、それ以上は血を見ることもなく静かに終わりました。
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「明るさはジョーカー」だと、炎の講演家・鴨頭嘉人氏が言っていました。「これだ!」と思いました。とーさんは前々から、何かあったら元気に「散歩」を歌うぞ!と密かに決めていたのですが、彼のこの言葉はとーさんの考えをピタリと正確にわかりやすく、しかも印象深く表現しています。鴨頭さんは言葉を選ぶのが本当に上手い。
トランプには様々なカードがあり、ゲームで相手に勝つためには相手よりも強いカードを切らなければなりません。
そんなカードの中において、ジョーカーは異彩を放っています。ジョーカーは、すべてのカードを圧倒して勝ちます。しかも、ジョーカーは戦いません。戦わずに勝ってしまいます。戦わずに、その場を全て収めてしまうのです。
もしもとーさんがより強いカードを出したら、相手はもっと強いカードで対抗してくるでしょう。そしたらとーさんは、さらに強いカードを出すことになります。戦いはエスカレートして、みんながどんどん傷ついていきます。
大きな声で叱りつけたり、力で人やモノを引き離したりといった方法は、突発的な紛争を解決するために手に取りやすい武器です。でも、お互いにダメージを受けるので、その方法は避けたほうがいいです。
正論を突きつけるのも、あまり上手い方法ではありません。紛争になっている時点で当事者は感情的になっているので、話を聞き入れる気持ちの準備がありません。メンタルをロジックで切ってはいけないんです。(だからとーさんは、「まずは共感せよ」というわけです。)
いつかまた紛争が起こったら、あるいは当事者になりそうになったら、イラっとする気持ちを抑え、正論もグッと飲み込み、大きく深呼吸をひとつしてから、明るく元気よく「散歩」を歌いますよ。満面の笑みで、ブロッコリーも食べますよ。
明るさはジョーカーです。ジョーカーは、いつでもどこでも何度でも使えます。お金もかかりません。とーさんはこのカードを、いつもポケットに忍ばせておこうと思います。
1歳半がハシゴを登り始めたら
「同じ月齢なのに、もう登れるってすごいですね」
とあるママ友さんが、1歳と7ヶ月くらいの和美がハシゴを登っているのを見て言いました。彼女のお子さんは、和美と誕生日が数週間違いでとても近いので、驚いたようです。
「おねーさんがいるからですかねー。何でも真似しますよね」などと言いつつも、少し嬉しい親バカのおっさんは、私です。
おねーさんの影響なのか、和美はいろいろなことが早めのようです。ハシゴを登るのも、その1つ。
公園にハシゴがあって、登ると滑り台ができて、それをおねーさんや友だちが楽しそうに登り降りしている・・・となったら、自分も当然してみたいと思うでしょう。
1歳半の和美も、たどたどしく登り始めました。最初は、手はどこにどうつかまったらいいのか、足はどこにどう置いたらいいのか分からず、文字通り手探りをしていました。
手と足をどこにどういう順番で動かすかなど、考えたこともないし考えるまでもない、と思いましたよ。でも実は、大人は忘れているだけで、誰もが小さいときに試行錯誤して身につけた運動技術なのかもしれません。
さて、和美さんには、まずはしばらく自分で頑張ってもらいました。で、どうしても上手くいかずイライラしてムキーッとなったら、手はここだよ、足はここだよと、とーさんがハシゴを掴んだり足を乗せたりして、次の一手を見せてやりました。
細かいことなのですが、難関は、
・体を持ち上げるタイミングと
・ハシゴの上(最上段)に登るとき
のようです。
力の弱い子供がハシゴを登る時は、まず両手で1つの段を掴みます。そして片足をかけます。
で、次はなに・・・?
ここで本人は迷います。ぶら下がったまま、ちょっと止まってたり。後ろで見守りながら、真剣な様子がなんか笑える。
次の選択肢は2つ。
両手片足で体を持ち上げるか、
後足を前足と同じ段にかけてから両手両足で体を持ち上げるか、
です。
どちらでも登れるのですが、とーさんは前者をさせました。体よりも後足が先だと、お尻を突き出して手足でぶら下がった状態に一瞬なるので、そこで手が滑ったら後ろ頭が大ダメージだからです。
なので、和美が片足をかけた(後足を下に残した)状態でお尻を持ち上げてやりました。
これを何度も繰り返していたら、ハシゴは自分で登れるようになりました。
次の難関は、ハシゴの上です。ハシゴを登りきると、次がありません。正確には、上の階というか、登って遊べる場所があるのですが、そこに上手く登れません。しばらく手探りをして、やっぱりムキーッてなります。笑える(笑いませんが)。
遊具によっては、最後に手をかけるところを作ってあって、それを「ここだよ」と見せてやれば登れるようになります。そういう気の利いたものがない場合は、手や指を少しでも引っ掛けられる所をなんとか見つけて、後は頑張るしかありません。どうしても登れなければお尻を押してやります。
公園によって、ハシゴのサイズや登りやすさは様々です。登りやすいハシゴはすぐ登れるようになりましたが、登りにくいものも3週間くらいで大丈夫でした。登れるようになってからもしばらくは、落ちそうになったときにキャッチできるように、すぐ後ろについて見ていました。
幸い、足を滑らせたのが一度だけで、落ちたりしたことはありませんでした。登り始めて1ヶ月半くらいで、離れて見ていても心配ないくらいになりました。
和美を褒めてくださったママさんのお子さんも、その時点で登る力はありました。現に1段目は登れていたんです。ただ、その子が登ろうとすると、「はいはい、危ないよ〜」みたいな感じで、子供を抱えてハシゴから降ろしていたんですよね。
そこで登らせるか、降ろすかは、親の判断次第です。どちらもそれなりに理があります。
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とーさんは、子供がしたいと思ったときに、できるだけさせてやるようにしています。だって、挑戦する気持ちを育てたいじゃないですか。挑戦と失敗を経験させたいじゃないですか。
世の中の大半の問題は正解がないので、アレコレ考えずに「まず、やってみよう」と行動してみた方が良いです。失敗したり間違ったりしながら、よりよく納得のできる答えを求め続ける方が、上手くいくんです。
大人は知恵があるので、アレコレ考えがちです。で、アレコレ考え始めると、リスクや問題なんていくらでも思いつきます。考え始めると不安や恐怖が大きくなって、動けなくなるんですよね。考えるよりもまず行動するクセを、子供の頃からいくらかでも持たせたいものです。
ノーベル賞を獲った小柴昌俊氏も「着想が浮かんだら、多少荒削りでもまず実験してみることだ」といったようなことをおっしゃっていましたよ(かなりうろ覚えですが)。ナイキさんも、「Just do it!」って言ってるじゃないですか。
靴下を自分で履きたい、椅子に自分で座りたい、チャックを自分でしてみたい、洗濯物を畳んでみたい、花に水をやりたい、おかずを皿に盛り付けたいなど、大人を見ていて「私もやってみたい!」ということはいくらでも出てきます。その時に、
・時間がかかるから
・効率が悪いから
・まだ無理だから
・危ないから
といって、やめさせたり親が代わりにしてあげたりするのは、大人都合の大きな機会損失です。「させない理由」を見つけて子供の挑戦する機会とやる気を奪ってしまうのは、ほんとーにもったいない。
子供がしたいと思った時にさせてやる、待ってやるって、もちろん、けっこう大変です。でも、それで子供が学ぶ事に比べたら、とーさんのガマンなんて小さなものですよ。
大声は暴力と同じ
大声は暴力と同じです。大声で相手を圧倒して自分の意見や要求を通そうとするのは、力が勝つ世界、力の論理です。ケンカが強い子が番長になり、武力の強い国が覇権を握るのと同じです。
力が勝つ世界に生きる人は、自分の要求が相手に受け入れられないと、声を大きくして相手を圧倒することで要求を通そうとします。声が大きくなった時点で、もはや「議論」ではなく、「力比べ」です。悪くすれば、単なる感情のぶつけ合いになります。
大人同士でそんなことをしたらみっともないので、大人同士ではあまり大声は出しません。声が大きい方が正しいというわけではない、ということを大人は知っています。
なのに、親は子供に対して大声で叱ったり子供を動かそうとしたり。どうしてこうも大声を出してしまうものかと、悲しくなったり心が痛んだりすることがあります。
親ならば、大人ならば、相手を子供だと理解しているのならば、子供にわかる言葉でゆっくりと穏やかに話して聞かせることができるでしょう。相手は知識も経験も理解力も未熟な子供なのだから、大人の自分には簡単にできることでも、なんども言い聞かせたり待ってあげたりする必要があることはわかっているでしょう。
子供に対して大声を出しているとき、親はただの暴君です。力の弱い市民を力で支配する暴君ですよ。そのうち、市民が成長して力を持ったら、クーデターを起こしますよ。
大声を出す親から子供が学習するのは、「声の大きい人が勝つ、要求を通すことができる、得する」ということです。
ふだん大声で叱られたり欲求をねじ伏せられたりしている子は、不満があるときにはとにかく大声を出します。そうすることで、自分の要求を通そうとします。それを押さえつけるために、親はさらに大声を出します。子供も負けじともっと大きな声を出そうとするので、親子でハウリングを起こしますよね。
親が大声を出すのは、だいたい下の4つのケースでしょう。
1 子供が危険な時
2 してほしくないことをしている時
3 親の思った通りに子供が動かない時
4 子供が大声を出している時
とーさんは、1で大声を出すのは、アリだと考えています。子供が危険な時は、大声を出してストップをかけます。もちろん、そもそも危険はできる限り避けるようにしているので、1のケースはあまりありません。
それでも、子供2人を連れて外出するときなど、どうしても危険な場面は出てきます。例えば、和美の靴が脱げてしまって直しているさなか、恵美が道路の向こうに友達を見つけてワーっと走り出した時などです。
2は、誰にでもよくあるケースです。とーさんはかなりのウッカリ者なので、しばしばこうした事態に出くわしてしまいます。
この前おやつの時間に、鉄のフォークを持った和美からウッカリ目を離してしまい、白い壁をガリガリやられた時には「和美!」と大声で止めてしまいました。「はいはい、フォークはイチゴを食べるのに使うんだよ〜」などと言って止める事もできたのに。
和美のウンチオムツを替えている時にワーっと走って近づいてきた恵美に「おい!ウンチあるから!」と怒鳴ってしまいました。ウンチオムツをクルっと丸めて安全な所に置いておけば、怒鳴る事もなかったのに。
他にも、砂だらけの足で家に入る、ウンチをしたオムツの中に手を突っ込む、何種類ものパズルを混ぜる、壁に絵を描く、食べ物や飲み物をひっくり返すなど、「してほしくないこと」は毎日の生活の中ではいくらでも起こります。
まずはこういう事態を予防する、起こっても慌てない。
この2つで、大声で怒鳴ることは減らせると思います。
3が一番の難関です。子供はたいてい、親の都合のいいように動かないものだと思った方がいいですよね。そのため、マインドセットとして少なくとも下の3点は、心のどこかにいつも留めておいてます。
子供は親の都合に合わせて動かない(子供の都合で動く)
子供は効率を優先しない(自分の興味関心を優先する)
子供の全責任は親にある
だってね、
あと10分で家を出ないと遅刻するという場面でも、子供はもっと遊びたかったり着替えたくなかったりと、子供都合で動きますよ。で、時間がないのでクツを履かせようとすると嫌がり、自分で履こうとするんです。効率を優先しませんから。
もうね、あんたたちはそーゆーもんだってとーさんは割り切ってますよ。
なのでとーさんは、
余裕を持って予定を組み、
完璧よりも完了を目指し、
自分が楽な方法を選ぶ
ようにしています。
さっきの例で言えば、
どうしても早く車に乗せたいときは、携帯のYouTubeでしまじろうをつけて車内に置きます。すると2人とも、ゴキブリホイホイに吸い寄せられるように車に入ってきます。これが一番楽な方法。
1歳半の和美でも簡単な長靴を自分で履かせ、チャイルドシートに座ったらとーさんがクツに履き替えさせます。理想的な方法ではないけれども、とりあえずこれで作業は完了です。
良い方法ではないですよ。でも、怒鳴ったりケンカしたりするよりは良いかなと思います。親がイライラしていて、子供がのびのび育つことはないので。
上の楽な方法をとる前に試すべきは、前向きな声掛けです。
「早く出発して、公園でたくさん遊ぼう!」
「一番に幼稚園に行ったら、好きなおもちゃが使えるぞ!」
恵美の注意がお出かけに向いている時には、これで「はーい!」となります。恵美が動けば、和美もついてきます。和美が先の時もあります。
おそらく5歳くらいにもなると、こうした声掛けですぐに子供が動くことはあまりないかもしれませんが、子供の前向きな心を少しずつ育てていくのには役に立ちます。
4は、対処方法は簡単です。
子供が大声で「やだ〜!」とか、「欲しい〜!」とか叫んでいると、ついイラっとして、大声でやり返したくなりますよね。そこをグッとこらえて、
子供の大声がおさまるのを待ちます。おさまったら、
普段と同じトーンでまず子供の話を聞き、共感的に話します。
これで十分。
いろいろと書きましたが、もっともカンタンかつ全ての場面で有効なのは、
イラっときたら深呼吸!
恵美は、すごく痛いときと悲しいとき以外は大声を出しません。「大きな声を出せば自分の要求が通る」と思っていないからでしょう。
学びは「教える+経験させる」
人間の記憶は意味記憶とエピソード記憶の2つがあり、お互いに作用しあって相乗効果を生みます。なので、何かを学ぶ時、「教え」とともに「経験」もするとより効果的に学ぶことができます。
ワインを飲んだ時に「このワインは、さわやかなパイナップルの香りが特徴的です」とソムリエに教えてもらったら、ワインを飲んだだけ、特徴を聞いただけの時よりも、はるかに長く鮮明な記憶が残ります。
とーさんは子供に決まりを理解して守らせるため、何度も言い聞かせるだけでなく、場合によっては決まりをそっと破らせ(そして失敗させ)ることもあります。
数日前、恵美が滑り台で転んで、下に落ちました。そして、あごをぶつけてアザができました。2日経った今も、まだ痛々しく残っています。
かなり痛かったとは思いますが、滑り台の下の方で転んだので重傷ではないでしょう。
(本来は座って滑る)滑り台で転ぶというのもおかしなものですが、恵美が滑り台の下から逆向きに登っていて、上から滑ってきたMちゃんに足をすくわれたというわけです。恵美と友達2人が滑り台を上から下からゴチャゴチャと入り乱れて遊んでいたので、起こるべくして起こった事故です。
Mちゃんは、ただふつうに上から滑ってきただけでした。なのに、Mちゃんが(直接ぶつかったということで)ママさんからひどく叱られる(そして泣く)という、なんとも申し訳ない結末になってしまいました。Mちゃん、Kママさん、ごめんなさい。悪いのは下から登った恵美と、それを止めなかった私です。
さて、滑り台は本来、下から逆向きに登るべきものではありません。場所によっては、そのように注意書きがあるところもあります。恵美にも3歳近くまではそのように言い聞かせ、その決まりを守らせてきました。「滑り台は、上から滑るんだよ。下から登ると危ないんだよ。」と。
しかし、あのツルツルした坂道を下から登るというのは、ちょっとしたチャレンジで面白いものです。そもそも「登る」ということ自体、子供にとっては魅力的な遊びですよね。で、公園やプレイセンターに行くと、元気な男の子らは滑り台を下からバンバン登ってくるわけです。
それを羨ましそうに「やってみたいな・・・」という目で見ていた恵美。いやいや、いかん。決まりは決まりですからね。そう思って、決まりのラインを踏み越えようとする恵美を何度も「こちら側」に引き戻したものです。
そうしながらも、とーさんの中では葛藤がありました。
「決まりはわかる。逆に登ったら、危ないこともあるよね。でも、たまには登ってみたって、良いんじゃね?面白いよ?俺だって子供の時は、そうやって遊んでたもんだよ。」
公園に誰もいなくて滑り台が貸し切り状態の時は、さすがに「登っても良くね?」と思いました。が、2歳の子供には決まりの例外やグレーゾーンは理解しにくいだろうから、バカバカしいなと思いつつ我慢して決まりを守ることにしていました。
でもね、決まりを1から10まできちんと守るって詰まらないですよね。
決まりのラインの外側に踏み出したことのある人って、魅力的だったり大人っぽかったり、世の中のことをより良く理解している場合が多い気がします。そして、どうしてその決まりが必要なのかも理解しています。火傷をしたことがある人は、火の恐ろしさや火の上手な扱い方がわかります。おもちゃを壊したことのある人は、何をどうしたら壊れるのかがわかると同時に、どこまでは壊れないのかも理解します。だから、ギリギリ限界の無理な(そして面白い)使い方ができたりします。
決まりの内側にいる限りは安全ではあるのですが、ずっとそこにとどまっていることが子供にとってプラスになるとは、とーさんにはどうしても思えません。
で、
滑り台を逆に登るの、解禁しました。
と言っても、積極的に「さー、どんどん登りましょー!」という訳ではありません。とーさんは前と変わらず決まりのこちら側に立っています。ただ、そこから、滑り台を逆流する恵美を見て見ぬ振りをすることにしました。
そしてさっそく恵美は、足をすくわれ、転んであごを強打、落ちて号泣、となったわけです。
マンガのように分かりやすい展開でした。
号泣する恵美を助け起こして抱きかかえ、
「痛かったねー。転んであごをぶつけたんだもんな。痛いよなー。ばんそうこう貼って、後でかーさんにフーフーしてもらおうな(そうすれば治ると思っている)。」と共感して慰めてから、一言、
「な。下から登ると、面白いんだけどさ、危ないんだよな。」
前にも書きましたが、とーさんの役目の1つは、「安全に失敗をたくさんさせること」です。この失敗で、恵美は1つ学びました。