決まりの徹底レベル分け
子供に教える決まりはいろいろとありますが、守らせる徹底レベルが違います。必ず守らせるものもあれば、そこそこ守れたらいいよね、くらいのものもあります。
徹底レベルが高い(必ず守らせる)順に書き出します。
0 生活習慣
1 命に関わる、大怪我をする
2 道義に反する
3 大金がかかる、修復が困難
4 人に迷惑をかける
5 モノを壊す、汚す
6 行儀が悪い
かなり長くなりますが、具体的な内容と雑感を書きます。
0 生活習慣
・1日3食
・早寝早起き
・外から帰ったら手を洗う
・歯磨き
・あいさつ、ありがとう、ごめんなさい
徹底レベルを「0」としたのは、決まりというよりも「いつも自然にすること、できて当然なこと」だからで、優先順位は高いのですがレベル分けで言うと圏外のようなものです。「教え」のようなものではなく、ただ時間になったら寝るし、朝起きたら「おはようございます!」、家に帰ったら「ただいま!」と大きな声で言う、それだけのことです。親がしていれば、子供もするようになります。
いちばん徹底しているかと言うとそうでもなく、ご飯を残すこともあるし、夜更かしすることもあります。習慣として身についていれば(今後、身につくのであれば)、時々は忘れたりしなかったりしても大丈夫な項目です。生活習慣については、多少のルーズさ(を許容する気持ち)があった方が、心や頭が健康的だと思います。
1 命に関わる、大怪我をする
・危険なものに触れない
・道路に飛び出さない
・エレベーターなどで遊ばない
・コンセントに触れない
・人を叩いたり、押したり引っ張ったりしない
最優先事項です。しようとしていたら、問答無用でやめさせます。
そして、どうして危ないのか、どんなに危ないのかを話し、「危ないのはダメだよ!」と言い聞かせています。
2 道義に反する
・嘘をつかない
・ずるいことをしない
・人が嫌がることをしない
・悪口を言わない
・順番を守る
・人のモノをとらない
これはいけません。大人であれば、犯罪になったり、人権侵害になったりするものもあります。
見つけたらすぐにやめさせ、まっすぐに座らせ、私も座って同じ目線で「ウソをついたらダメだよ。恵美がウソをついたら、とーさんはすごく悲しいし、もう恵美のことを信用できなくなるんだよ。とーさんは恵美にウソをつかない。恵美もウソをつくんじゃないぞ。」と真剣に諭します。とーさんの目を見て「はい」と言わせます。
道義に反する行為を見ていながら、黙認するということはありません。見逃したら、ウソやズルを認めたことになります。子供は「してもいいこと」と認識し、その後もウソやズルを続けるようになる可能性があります。親の(特に父親の)言動には立法作用があることを、心得ておかなければなりません。
子供を諭すとき、とーさんや恵美自身がどう感じるかを今後の行動の判断基準にします。「これが正しい行いだから、こうすべきだ」などのように、正しさや正義は持ち出しません。
責め立てるような話し方もしません。この段階では、「どのように行動したら良いのか」という判断基準を理解させれば十分です。
悪いと思っていないことで責められたら、大人も子供も不満に感じるでしょう。気の弱い子であれば、萎縮して心を閉ざしてしまいます。
道義的な行動を身につけさせるには、
・親が普段から道義的な行動をとり
・子供が道義的な行動をとったときに褒め称える
ことが効果的です。
正直に話したことと勇気を褒め、順番が守れたことと我慢強さを褒め、人が喜ぶことをしたことと思いやりを褒めます。
「手本を見せ、子供の行動を褒める」のは、何を教えるにしても当たり前ではあるのですが、道義的な教えについてはなかなか難しいです。ウソやズルさには、不快感や嫌悪感を覚えるからでしょうか。
特に、私自身が道義に反する人間のため、余計に不快に感じるのでしょう。子供のウソやズルなどたわいもない可愛いものですが、そうは言っても私には不快です。とーさんはこの点、まっとうな大人にいつまでもなれません。
少し違った観点ですが、
この項目は、意図的に(悪意を持って)他人をおとしめると同時に、自分の信用を著しく落とすものです。
道義に反する行為がいけないことなのは当然ですが、これからはその意味がより強くなります。なぜならこれからは、
・全ての人がSNSを通じてつながっていて、
・資格や肩書きよりも、個人の信用が仕事やお金を作る時代になるから
です。
SNSはバーチャルの世界のようでいて、その実、人の内面を映し出すスクリーンのようなものです。何に興味を持ち、どう考え、どのように行動したかが発信されていく裏側に、その人の素直さや優しさ、面白さ、あるいは虚栄心や思慮の無さを読み取ることができます。情報量が多ければ、SNS上の写真や文面だけからその人の人となりはある程度、判断できるようになりますよね。さらに実際に会って話せば、その人の人柄はもはやごまかせません。
AIとビッグデータで、今後はその判断が(人間がするよりも)より速く正確にできるようになるでしょう。アメリカではビザ申請の際、SNSのアカウント情報を提出することが義務付けられました(2019.06.02現在)。この件のSNS情報の利用目的は限定的ですが、SNSを見ればその人がどのような一面を持つかわかるということが、公に裏付けられたわけです。
SNS情報を利用すると、アメリカの例ように「どんなマイナス要素を持った人物か」をチェックすることができるだけでなく、「どんなプラス要素を持った人物か」も知ることができるので、今後は入社試験に使われるようになるし、大学入試でも使われるようになるかもしれません。
あるいはそのうち「性格チェッカー」のようなアプリが出てきて、知り合いのSNSアカウント情報を入力するだけで、AIが過去の会話履歴や発信内容を洗い出し、その人がどんな人かを誰でも簡単に診断できるようになるかもしれません。
余談ですが、中国ではネット販売の利用履歴も管理把握されていて、例えば赤ちゃんの紙おむつを定期的に買っている男性は信用ポイントが高くなるらしいです。「子育てに協力的な父親は信頼性が高い」という、中国政府の判断ですね。
繰り返しますが、道義に反する行為はとーさんは許しません。他人をおとしめるなど、もっての外です。また、自分の信用を落としたら、将来の可能性を大きく狭めてしまいます。
3 大金がかかる、修復が困難
・火遊びをしない
・他人の車に触れない
・パソコンに触れない
・携帯電話を大切に扱う
・家や公共物を大切に扱う
例えばパソコンに触れたら、すぐにやめさせます。そして「とーさんのパソコンは触らないんだよ。パソコンが壊れるからさ。パソコンが壊れたら、とーさん、すごく悲しいよ。」などと、してはいけないこととその理由を話します。携帯電話は触っても良いですが、落としたり乱雑に扱っていたら止めます。
「車なんて直せば良いじゃん」「ケータイのデータなんて新しいケータイに移せるでしょ」とも思います。
この項目は、修復して解決可能な問題がほとんどです。ただ、解決するためには、必ずお金や時間がかかります。
例えば車を傷つけたら、傷をつけたのが子供であれ大人であれ、3万円なり5万円なりの修理代がかかります。数年後、子供が学校に通い始め、街に出るようになったら、もっと大きな損失を起こす可能性もあります。
お金だけではありません。モノのダメージを修復するには、所有者の貴重な時間を費やすことになります。子供が車を修理に出しに行くことはできないし、契約者でなけばケータイのデータに触れることはできないからです。誰かの起こしたダメージを修復するために車屋さんやケータイ屋さんに行って、手続きしたり待たされたりして自分の時間を使うなんてことになったら、本当に悲しい。
時には、お金や時間で解決できない場合もあります。思い出の詰まったカップを割ってしまったり、入手困難なおもちゃを壊してしまったり、苦労して完成させた作品を汚したりしたら、お金や時間をいくら費やしても取り返すことはできません。
モノは必ず「誰かの(または、みんなの)」モノです。モノを大切にしないのは、それを持っている人を大切にしていないということです。あるいは、そのモノが壊れることで誰かが悲しんだり、どのような損失が発生したりするかが想像できていないということです。そこまで理解できるようになるには時間がかかりますが、まずはモノを大切にすることから始めると良いと考えています。
4 人に迷惑をかける
・公共の場で騒ぐ
・人のものを勝手に使う
・公共物を独占する
・順番に割り込む
人に迷惑をかけるのは良くありません。上のような行為を子供がしていたら、直ちにやめさせます。ただし、1つひとつの行為については正しますが、「人に迷惑をかけてはいけないよ」というまとめた言い方はしません。「人に迷惑をかけちゃいけないんだ」と無意識のレベルまで刷り込まれ、ここで思考停止してしまうことにならないように注意しています。
「人に迷惑をかけるな」ということを、昭和の親父の小言のように家訓や人生訓にしている人がいます。少し前の日本では(今でも?)、これを厳しく言い聞かせられていたのだと思います。また法律の世界では、「他人に迷惑をかけなければ、何をしても良い」という考え方が根っこにあります。例えば、人に迷惑をかけなければタバコをいくら吸っても良いし、酒を飲み過ぎて体を壊すも怪我をするも自分の勝手でしょ、ということです。これを愚行権と言います。
「人に迷惑をかけてはいけない」というのは、社会の中で生きていく上でとても基本的で大切な考え方です。でも、これが行きすぎるとむしろ害悪になると私は考えています。
人に迷惑をかける行為を、下のように分類してみます。
A 意図的で悪意のあるもの
B 迷惑だとわかっているけれども、ウッカリしてしまったもの
C 意図的ではなく、結果的に迷惑になるもの
D 迷惑である(かもしれない)が、必要と判断されてやむなく行うもの
Aは、
上にあげた「2道義に反する」行為です。
Bは、
飲みすぎて人に絡んだり暴力を振るったりとか、スーパーで友だちにばったり会って話し込んでたら通路をふさいでいたとか。人の噂話をするなんてのも、ここでしょうか。
Cは、
二車線道路の片方(自分の車線)が道路工事のために途中で切れていて、隣の長い列にやむなく横入りするとか、
飛行機で(対策をいろいろと用意していたにもかかわらず)赤ちゃんが泣き止まない
など。
Dは、個人レベルでは例えば、
救急車を呼べない状況で無茶な運転をして病人を搬送したり、
急患を無理に優先して処置して(他の患者さんに待って)もらう
など。
社会全体のレベルでは、
原発、安楽死、死刑、自動運転の責任問題
など、賛否両論のある問題はたくさんあります。
AとBは、迷惑なのでやめましょう。犯罪や人権侵害もあります。とてもシンプル。
問題はCとDです。ここが重要なポイント。日本社会では、CとDにもとても厳しいですよね。私はこの風潮がとても苦手です。Cは「しょーがないじゃん」って思うし、Dは「落ち着いて考えないとね」って思います。
Cは、私たちの住むオーストリアでは、問題になりません。Cは人の助けが必要な状況であり、周りの人が協力してくれます。そもそもこういった事を迷惑行為などと、人々は認識していないでしょう。
ところが日本では、ウィンカーを出してもあまり入れてくれないですよね。グリーン車に赤ちゃんを乗せていいか議論になったり、満員電車にベビーカーで乗ってはいけないという意見があったりもします。どれも「人に迷惑をかけてはいけない」という教えのために、社会が不寛容になっていることの表れです。
気をつけていても、多かれ少なかれ誰だって人に迷惑をかけてしまうものです。
重要なのは「迷惑をかけないこと」ではなく、
・迷惑をかけてしまったときにきちんと尻拭いをすることと、
・「誰だって他人に迷惑をかけてしまうもの」という認識を持って他者に寛容になること
です。
Dは、利害や正義の対立する2つの意見の衝突であり、両者の意見や情報を集めた上で自分で判断することなので、どんな意見もあり得ます。が、この判断をする時に「他人に迷惑をかけてはいけない」という行き過ぎた思い込みがあると、「少しでもリスクがあったら止めるべき」「少しでも迷惑をかけるようなら禁止すべき」というゼロリスク信仰が、あらゆる変化や進歩に「待った」をかけてしまいます。
でもね、リスクがゼロの変化も進歩もありません。
原発も自動運転も、ゼロリスクになるまで研究し続け(実用化を先延ばしす)るべきと考える人、本当にそれでいーの?迷惑をかける事を恐れて挑戦しない方が、個人にとっても社会にとっても成長を阻害する足かせになるんじゃないの?
それとね、日本人は「人に迷惑をかけてはいけない」という思い込みのために、人に頼ることもあまり良しとしないですよね。そのために、どれだけの老人が孤独死したり、どれだけの人が社会的な支援を(遠慮したり世間体を気にしたりして)受けられずに貧困にあえいでいるんだろう。
ウチの子には、困った時には大きな声で「助けて!」って言える人になってほしいです。
人に頼ったって良いんです。いつか自分が1人で立っていられるようになったときに、きちんとお礼をすれば良いじゃないですか。
5 モノを壊さない、汚さない
・家具やドアガラスなどを叩かない
・棚や冷蔵庫内のものを持ち出さない
・生きた花や草木を取らない
・おもちゃや本などを投げない、蹴らない、叩かない
・ペンで壁などに落書きをしない
3と同じようなことで、程度の軽いものです。穏やかに注意して、たしなめるようにしています。すぐに止めずに、何をしようとしているのか観察することもあります。自分で良くないなと判断して、やめるかもしれません。
家具やドアを叩くといっても、壊すくらいの力はありません。花や草木というのも自分の家の裏庭や道端の雑草などのことで、大きなダメージではありません。なんなら、一度くらい家具など壊したりしてみたら良いでしょう。壊してみてわかることもあるでしょう。
私は小学生の時、ソファーの上でジャンプするのが楽しくて、よくポンポン飛び跳ねて遊んでいました。で、あんまり跳ぶもんでソファーの足を折ってしまいました。そこで学びました。「ソファーって、上でジャンプしてたら壊れるんだ」と。
大人になったら簡単に想像できることが、子供にはわかりにくかったりするので、軽いダメージであれば実際に経験してみると良いと思います。こうしたらこんな風にソファーは壊れるんだとか、花はこれくらい強く引っ張ったら取れてしまうんだ、花を取るとこんな形なんだなど、学ぶことは多いです。
自分の家でこれを守れるようになっておくと、友達の家で壁に落書きしたりするのを防ぐことができるし、他人や公共の物も大切に扱うようになります。
6 行儀良く
・食べ物や食器で遊ばない
・座って食べる、飲む
・足でモノに触れない
・テーブルにあがらない
・出したものは片付ける
・脱いだ靴をそろえる
行儀の良し悪しというレベルは、しつこく注意はしますが、実際とーさんはあまり気にしていません。できた方がいいとは思いますが、できなくても問題ありません。気づいていないふりをして、好きにさせておくこともあります。「テーブルに乗るな」とは言いますが、テーブルに乗って高いところからいつもの風景を見たり、そこから飛び降りたりする楽しさも知ってほしいです。それに、とーさんの言うことを聞かずに自分のしたい事をする経験も必要です。
いつもどこでもテーブルマナーの良い振る舞いをしてほしい、とは思っていないです。テーブルマナーが必要な場面と、必要な振る舞いを知っていれば十分でしょう。
行動が習慣化して無思考でお行儀よく振る舞えるようになるよりも、「なんで?」ってイチイチ疑問に思ったり、急いでいる時は「あとで片付けた方がいーじゃん」って考えて選択したりしてくれた方が、(その時とーさんは面倒だけど)面白くて良いんです。
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どの決まりを重視するかは、その人の生き方の一端を表しています。
今のとーさんは上のように考えて(上のような生き方を目指して)いますが、子供達には最終的には、どんな決まりが必要で、どれを大切にして、どのように生きるかを自分たち自身で考え、選び、実行していってほしいと願っています。
とーさんと同じである必要は全くありません。とーさんが正しいというわけでもありません。価値観は人それぞれだし、時代の変化とともに変わりますから。
とーさんだって5年後は全く別のことを言っているかもしれないし、10年後には社会がガラッと変わって、全く違う考えを持たざるを得なくなっているかも知れないんです。
だから、
「とーさん(や先生)がこう言っていたから」とか、「みんながこーしてるから」「社会ってのはこーゆーものだから」と思考停止しないよーに。上に書いたことは、考えるとっかかりなだけです。で、自分の決まりは自分のアタマで考えるよーに。
考えた結果、同じ結論になったって良いんです。自分で考えた後は、「自分の結論」なのだから。