転んだら自分で起きる
子どもたちが転んでも、とーさんは助けません。自分で起きるのを待ちます。というか、あまり気にしないというか、取り合いません。
とーさんが何度も助け起こしていたら、自分で起き上がれない子になります。
転んでも構わなければ、
・転んでも泣かなくなるし、
・子どもは自分で起き上がるようになるし、
・とーさんは手がかからずに楽ができるようになります。
良いことばかりですね。
逆に、子供が転んだ時にとーさんが心配そうに駆け寄ったり、「痛かったね〜。大丈夫かい?」などと大げさに反応すると、大した怪我でなくても「コレって、やばい怪我なのかな?」と必要以上に心配したり痛がったりするようになります。
「痛がり」な性格って、こうして作られてるんじゃないのかな?
大人は転んでも泣きません。痛がったり、辛そうにしたりするけれども、痛みがひけばまた前と同じように歩きます。
子供が転んで泣くのは、ビックリしたからであったり、ダメージの程度が理解できていなかったりするからでしょう。「これってもしかして大けが?」って思ったら、怖いし助けてほしいから泣きたくもなりますよ。
子供が転んでも「あら、転んだね。大丈夫かい?」くらいに声をかけて、とーさんは手に持ったコーヒーをテーブルにおろすこともしません。すると子供は「とーさんが助けてくれないし顔色ひとつ変えないってことは、こんなのたいしたダメージじゃないんだな。足をぶつけて痛いけど、すぐ治るんだな。」とだんだん分かっていくでしょう。
どんどん転んだらいいんです。椅子で転んだり、公園の段差から落ちたりして、小さなケガを繰り返したらいいんです。
たくさん転べば、転び方が上手くなります。どうしたら転ぶかが分かって、どうしたら転ばないかもわかるようになります。痛みの程度を理解するようになって、「コレはすぐ治る」とか、「コレはヤバイやつかも」という判断ができるようになります。
そして「転んだら自分で起きる」を繰り返すことで
・失敗してもくじけない
・失敗を恐れず挑戦する
・失敗から学ぶ
・他人の失敗を笑わない
・他人の挑戦を応援する
といった姿勢につながったら良いなと思います。
「転んだら自分で起きる」という1つのことでこういった姿勢ができるとは思いませんが、少なくとも助けにはなるでしょう。
ただし、ダメージが大きい場合は別です。とーさんも、鬼ではありません。
例えば、コンクリートに頭を強打したり、倒れた拍子にテーブルのとがった角に頭や背中などをぶつけた時などは、抱きかかえて「痛かったねー。」と声をかけ、落ち着くまでは「痛いの痛いの、飛んでけ〜!」となります。
ウチのフロアはコンクリートにタイルを貼ったような作りで、転んで頭をぶつけるとかなり痛いです。和美が歩き始めの頃は、「痛いの痛いの、飛んでけ〜」を何度もしました。
ちなみに、とーさんは転んでも助けないし、子供が少し高いところに登っていてもやめさせないので、周りの人から白い目で見られているように感じることがあります。「ここまでは必要な保護で、ここからは過保護だ」というラインが、とーさんと周りの人とでは違うようです。
大けがにならなそうであれば、少しくらい危険なことでもやってみたらいーじゃん、と思うんですけどね。危険かどうかの境界線って、踏み越えてみた方が理解しやすいでしょ。境界線の3歩も4歩も手前の安全圏で大人に止められたら、どこからがどう危険なのか理解できません。
「危ないから登るな」と大人に10回言われるよりも、実際に登って(落ちて)みた方が子供は理解しやすいし、行動も改善しやすいです。登ってみた結果、もう登らなくなるか、上手く登れるようになるかです。どっちに転んでも悪くないでしょ。
それに、危ない事をしてる時って、ワクワクドキドキだし、慎重に集中して身体を動かすし、次の一手を考えながら行動するから、脳にはとても良い刺激になると思うんですよね。