娘へ

あなたはこうしてできています

効率の良い方法は学びのジャマ。でも、効率よくしないと生活が回らないよね。

とーさんは仕事がデキない人です。作業の段取りが悪くて仕事が遅い。整理整頓ができないので必要なときに必要なものがすぐに出てこず、慌てて探したり作り直したり。納期に間に合わず同僚に迷惑をかけ、「今回の件は勉強になりました」と反省しながらも何も吸収せず、3日後には同じことを繰り返す残念な社員が、とーさんです。

社会に出ていかないことが、とーさんの社会貢献だと思っています。

 

対してかーさんは、仕事ができる人です。仕事が速く正確でモレがない。より良い方法をいつも考え、効率化を図ります。その有能ぶりに、どの職場に行ってもデキる人や上司からは信頼され、後輩からは頼りにされ、デキない人からは利用される。それがかーさんです。

※ついでに言えば、かーさんを利用するデキない人が、とーさんですね。

 


この能力差が原因なのか結果なのか分かりませんが、


かーさんは「効率と目標達成」が大事で、

とーさんは「遊びと学び」が大事

と考える傾向があります。

 

 

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少し前に、アデレードの友人を訪ねて、片道8時間(740㎞)のドライブをしました。

最後の休憩と給油を終えて、さあ後もう少しというところでグーグルマップを見ると、到着まで20分と表示されています。そこで助手席のとーさんは友人に、到着予定の時刻を連絡しました。

ところが、到着まで結局35分くらいかかりました。なぜかというと、使っていた車載ナビの地図がアップデートされていなくて、新しく作られた(ナビに表示されていない)高速道路に乗って遠回りすることになってしまったからです。

せっかく友人宅に近づいたのに、高速道路から降りることができずに家を通り過ぎ、どんどん離れていってしまいます。それにつれて、かーさんのイライラが募ります。

後20分で着くって友人に言ったのに!グーグルマップを使っていれば、道を間違えなかったのに!と。

でもとーさんは、

友人を少し待たせてしまうことにはなったけど、そんなに遅れるわけじゃないし(少し遅れるって連絡したし、いいんじゃない?)、

全く知らない土地で、ナビが違っているかもとか予測しないし(知らない土地なら間違いのない方のナビ使えよとは思うけど)、

回り道で通った丘の上からアデレードの町と海を一望できて、きれいな景色が見れて良かったじゃん、

くらいに考えていました。

 


かーさんは道を間違えることに耐えられないんです。


言い換えると、

かーさんは自分の準備不足や判断ミスによる過失が許せない、避けることのできたはずのミスに我慢がならない。

逆に、渋滞は大丈夫。自分の力の及ばない、仕方のないことだから。かーさんは自分に厳しく、変えられないものは受け入れるという、達観した姿勢です。

 


一方とーさんは、渋滞にはまることに耐えられません。


渋滞にはまって何もできないでいる時間の浪費が、どうにも耐えられないんです。本は読めない、携帯は使えない、できるのは考え事くらい。(同乗者がいたら、話ができるので大丈夫)

逆に、道を間違えても全く問題ないです。むしろ、新しい道を見れて面白いし、一度間違うと道を覚えやすいので、道を間違うのは失敗とも無駄とも感じません。寄り道、回り道、大好き。

 

 

これがとーさんとかーさんの、「効率と目標達成」と「遊びと学び」という考え方の違いの表れなのですが、2つは相容れない性質を持っています。


たとえばマックのようにがっちりしたマニュアルがあると、作業が効率よくこなせ、ハンバーガーが速く正確にお客さんに提供されます。ですが、「なぜその作業手順が良いのか」「どうしたらより速く正確にできるのか」という思考が(必要がないので)生まれにくくなります。

逆に、試行錯誤を繰り返してより良い方法を学びながら作業をしていたら、流れ作業の足並みを乱してしまい、いつまでもハンバーガーができません。それでは店は回りません。

「効率と目標達成」と「遊びと学び」は、一方に偏るともう一方を損なってしまうんです。


なのでウチは、いいバランスなのかなと思っています。

 

 

自分語りの前置きが長くなりました。なんでこんな話をするかというと、子供へのアプローチの仕方にとーさんたちの違いがちょいちょい表れるからです。その度に発見したり反省したりなので、書き留めておこうと思った次第です。

 

 

 

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去年のクリスマスに、とーさんは生まれて初めてクリスマスツリーを家に飾りました。子供の頃からの憧れがあり、子供のためというよりも自分が欲しかったというのが正直なところ。ですが、「いろいろ難しいな」と買ってから気づきました。


クリスマスツリーって、ビニールで作られたトゲトゲした葉っぱがパラパラと落ちるんですね。枝先にあしらわれている雪に見立てたプラスチック(?)のツブツブも、触るとパラパラ落ちてきます。それを、2歳前の和美が食べてしまいそうになったり、指につけたまま指しゃぶりをしそうになるので、ツリー周りの床掃除が欠かせません。

ツリーに吊るす飾りも、また曲者で。恵美も和美も、いったん吊るした飾り付けを、リンゴ狩りでもするように楽しそうに収穫します。

「和美、そっち取って!こっちは私に任せて!」

「うん、わかった!」

はりきって収穫した飾りは、床に散らばっていたりソファーの上に山積みになっていたり。これ、「ツリーあるある」らしく、だからツリーは飾らないという人もいました。

しかもウチの飾りの半数は、表面がキラキラのラメでコーティングされていて、これが問題。触るとラメが手について落としにくく、これをつけたまま和美は指しゃぶりをしてしまいます。

 


かーさんは、子供たちが飾りを取るのをやめさせようとしました。「ほら、こうやって飾っておこうね」と、一緒に飾り付けを直しながら。

クリスマスツリーは、飾り付けをした後は見て楽しむもの。完成した状態にしておくもの。飾りであって、オモチャではない。これがかーさんの最初の(よく考えてみる前の)発想。

確かにその通りです。が、これはオトナの考えであって、子供はそうは考えません。

 


とーさんは、飾りを取っても良いんじゃないの?と思いました。取るのも楽しいし、もう一度飾り直すのも楽しいものです。とーさんだって実は、ツリーを作って飾り付けをしている時が一番ワクワクしていて、完成したらもうワクワクはだいぶ小さくなってしまいました。あんなに楽しみにしていたのに、店でいくつも見比べて「あっちのツリーは、枝ぶりが良い」とか「そっちのは素材が安っぽい」とか言って念入りに選んだのに、完成したらただの背景、ただの飾り。作ったり使ったりしてこそ、楽しいんです。

それに、バラしたら直す、出したら片付けるというのも、子供たちの練習のうち。「完成した状態に保つ」ことを、目的にしなくてもいいでしょう。

 


かーさんの言うのが、効率の良い「正しい」ツリーの使い方。とーさんの言うのは、ムダだらけでスマートじゃないし、美しくもないけど、楽しいし学びがあります。

 


話し合った結果、キラキラの飾りは子供の手の届かない高いところに飾る、というところに落ち着きました。子供がキラキラじゃない方の飾りを取ってしまうのは、許容しましょう、と。

 


その後、どうなったか。


→1度や2度は、子供たちと一緒に飾りを直したが、1歳児+3歳児と一緒に何度も直すなど(めんどーなので)できるわけなく、ほとんどとーさんが直すことに。


→数日後には(めんどーになって)飾りを直さず放置。


→部屋のあちこちに、宝物のように飾りが置かれたり隠されたり。ソファーは使えなくなり、床に落ちている飾りを踏んで壊したり、ベンチの上の「修理待ち」の飾りがジャマだったり。


→リビングはぐちゃぐちゃ、気分良く生活できない。


→最悪の状態にはならないようにと、最後に片付けてくれていたのは結局かーさん。

 


生活全体(と、とーさんのズボラさ)を考えると、やっぱりかーさんの言う通りです。ありがとう、かーさん。そしてごめんなさい。

 

 

 

「効率と目標達成」か「遊びと学び」のどちらを優先するか考える場面は、クリスマスツリーのような大きなイベントでなくても、普段の生活の中でたくさん出てきます。


例えば、

・出かける準備(着替え、カバン用意、クツを履くなど)


・トイレの後(紙で拭く、ズボンを上げるなど)


・ご飯を食べる時(特に納豆とカレー!)


・公園に向けて散歩に出たとたん、家の前の砂地で遊び始めて動かない時


・子供の要望でテレビをつけたのに、他の遊びを始めて画面を見ていない時

 


こういう場面で効率よく目標を達成するために手伝ったり、説得したり急かしたりするかどうかが、考えどころです。

 

とーさんは、あまり手を出しません。睡眠不足、栄養不足、不衛生で不健康にならない限りは、少しくらい時間にルーズになっても良いし、目標を達成しなくてもかまいません。なのでウチは幼稚園に遅刻したり、ご飯を食べ終えなかったり、散歩の目的地が変わったりすることがよくあります。クツが左右逆なのは、当たり前。

そもそも、子供にはどうしても達成するべき大事な目標なんてないでしょ。それよりも、遊びと学びの方が圧倒的に大事。

 

 

効率と目標達成を優先するのは、迷路でゴールまでの線をあらかじめ書いておいてやるようなものです。迷路は「こっちかな?じゃ、こっちは?」と迷ったり間違ったりしながら進むから面白いのであって、進むべき道がわかっていたら面白くもなんともありません。遊びはゼロ、学びは1つだけ。いちおう、学びはありますよ。「こう進んだらゴールできます」という、正解が1つ得られます。

 


対してエンピツのガイドがなかったら、迷い間違いながらながら進む粘り強さ、仮説を立てて検証する姿勢と方法、ゴールした時の達成感と自信、そして正解を1つ得られます。ガイドなんて無い方がいいでしょ。

 


ちなみに、迷わずまっすぐゴールして得た正解と、迷いながらゴールして得た正解は、全く性質が違います。後者はあらゆる失敗や不正解を経験した後の正解なので、これを得た人はもう一度同じ迷路をしたら簡単にゴールできます。

でも、まっすぐゴールで正解を得た人は不正解を知らないので、ゴールまでのガイドがなくなったら迷ってしまう可能性が高いです。ガイド付きで得た正解は、とってももろくて弱いんです。子供にたくましく育ってほしいと願う親がそのガイドの線を引いてしまったら、本末転倒です。

 


効率よく目標を達成するよりも、迷ったり間違ったり横道にそれたりしながら楽しく少しずつ前に進む方が、子供には(時には大人にも)必要です。結果、ゴールできなくてもいーんです。自分のたどり着いたところが、自分のゴールで良いじゃないですか。そこまでの道のりが、楽しく学びのある道のりであるのならば。

 


とーさんは人生観として、この「遊びと学び」優先の考え方が好きです。ちきりん氏も言うように、「人生は何かを成し遂げるためのものではなく、楽しむためのものなのだから。」

そんじゃーね!